
体験場所:東京都大田区 築40年のマンション
これは、私がリフォーム会社で現場監督をしていた数年前に体験したお話です。オカルトや心霊現象を信じているわけではありませんが、あの日、あの大田区のマンションで目撃した光景だけは、どうしても合理的な説明がつかないのです。
その仕事は、中古マンションを購入されたお客様からの「フルリノベーション」の依頼でした。内装を一度すべて解体し、スケルトン状態(コンクリートの箱の状態)に戻してから作り直すという、よくある案件です。現場は、長年一人暮らしをされていた高齢の女性が亡くなり、遺族が売りに出したという物件でした。
解体工事の初日、私は作業員の方々と一緒に部屋に入りました。古い壁紙や床材を剥がしていくと、建物の本当の姿が見えてきます。
異変に気づいたのは、解体がほぼ終わった二日目の午後でした。
「ナカヤマさん(私)、ちょっとここを見てください。計算が合わないんです」
ベテランの解体職人である佐藤さんが、怪訝な顔で私を呼びました。
彼が指差したのは、北側の寝室にあった押し入れの跡地です。
リフォームの図面を引く際、私たちは事前に「現調(現場調査)」といって、メジャーで部屋の寸法を測ります。図面上では、その部屋の横幅は3650ミリ(365センチ)でした。しかし、実際に解体してコンクリートの壁がむき出しになった状態で測ると、どうしても150ミリ(15センチ)ほど足りないのです。
「壁を一枚壊したんだから、むしろ広くなるはずなのに、なぜか狭くなっている」
佐藤さんの指摘通りでした。
私たちは最初、測り間違いか、あるいは壁の中に太い柱でも隠れているのかと思いました。しかし、図面を確認しても、そこに柱などありません。コンクリートの壁を叩いてみましたが、どこも同じ硬い音がします。
不可解に思い、私は隣の部屋(共有部の廊下側)との境界壁を詳しく調べることにしました。
すると、押し入れの奥だった壁の一角に、妙な違和感を見つけたのです。
そこには、コンクリートに直接、非常に薄く、しかし丁寧に、「目地」のような筋が彫られていました。まるで、そこに隠し扉でもあるかのような、綺麗な長方形の筋です。
私は佐藤さんと顔を見合わせました。
「壊してみますか?」
佐藤さんの提案に、私は少し躊躇しました。図面にない空間を壊すのはリスクがあります。ですが、寸法が合わない原因を突き止めなければ、新しい壁を作ることができません。私は許可を出し、佐藤さんが電動ハンマーでその「筋」の周辺を叩き始めました。
数分後、コンクリートの一部がボロリと崩れ落ちました。
そこから出てきたのは、鉄筋ではなく、大量の「新聞紙」でした。
それも、ただの新聞紙ではありません。細く、こよりのように捻られた新聞紙が、壁の中にびっしりと詰め込まれていたのです。
私たちは言葉を失いました。
慎重にその新聞紙をかき出すと、壁の中に「高さ180センチ、幅90センチ奥行15センチ、行15センチ」ほどの、人一人がようやく立てるような極めて細長い空間が現れました。
その空間の中にあったものを見て、私は背筋が凍りつくのを感じました。
そこには、小さな「手鏡」が壁に向かって立てかけられており、その前には、誰のものか分からない「真っ白な子供用の靴」が一足、揃えて置いてあったのです。
さらに不気味なのは、その隠し空間の内側の壁一面に、鉛筆のようなものでびっしりと、「数字」が書かれていたことです。「1、2、3、4……」と、延々と続くカウント。それは壁の端から端まで、気が遠くなるような密度で書き込まれていました。
「……これ、前の住人が作ったのか?」
佐藤さんの声が震えていました。
マンションの構造上、コンクリートの壁を後から加工してこんな空間を作るのは不可能です。つまり、このマンションが建設された40年前、施工段階で、誰かが意図的に、図面にないこの「15センチの隙間」を作り、中に靴と鏡を封じ込めたということになります。
私は慌てて当時の管理会社や元の住人の遺族に連絡を取りました。
しかし、得られた回答は、さらに不可解なものでした。
亡くなった老婦人は40年間その部屋に住んでいましたが、押し入れの奥にそんな空間があることなど一度も口にしたことはなかったそうです。
ただ、彼女は生前よく、「夜になると、押し入れの中から数を数える子供の声がする」と言って、耳栓をして寝ていたという話を聞かされました。
私たちは、その靴と鏡を丁重に供養に出し、空間をコンクリートで埋め戻しました。
ただ、その作業中のことです。
私は佐藤さんが小声で、「……98、99、100」と呟いているのを聞きました。
「佐藤さん、何を言ってるんですか?」
と問いかけると、彼はハッとして、「いや、今、壁の中から声が聞こえた気がして、ついつい続きを言ってしまった」と答えました。
佐藤さんはその後、体調を崩して現場を離れてしまいました。
あの空間は一体何だったのか、今でも時々思い出しては考えてしまいます。
建設当時の誰かが、何らかの呪術的な理由、あるいは「誰にも見つからない場所」を確保するために作った、この世とあの世の境界線のような場所だったのではないか…
あの15センチの隙間に詰め込まれていた新聞紙の「こより」は、外の世界の音を遮断し、中の「何か」を閉じ込めるための結界のような役割を果たしていたのではないか…
全て私の想像でしかありません。
ただ、あの空間が存在したことは事実です。
リフォームが終わった後、その部屋には新しい若い夫婦が入居しました。
引き渡しの際、私は、壁の奥のあの空間のことだけは、どうしても話せませんでした。
今でも、あの大田区のマンションの前を通る度、あの壁に書かれたカウントが終わる時、一体何が起こるのかを想像してしまい、言いようのない不安に襲われます。
あれは決して単なる建築ミスなどではありません。
設計図という、「理屈」では測りきれない、人間の情念がコンクリートの中に塗り込められた、そんな呪物のようなものではないかと私は思うのです。

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