体験場所:兵庫県A市の祖父母宅
これは私が小学生の頃の話です。
母方の祖父母の家が兵庫県のA市にあり、夏休みは姉とそこで数日過ごすというのが毎年恒例になっていました。
私たちが行くと、祖父母の家の近くに住む中学生になる従姉妹のお姉ちゃんたちも泊まりに来て、いつも本当に賑やかで楽しくて、その年の夏も私と姉はワクワクして祖父母の家を訪れたんです。
昼は海水浴に行き、夜は花火をし、本当に楽しい一日を過ごしたその夜のことでした。
みんなが寝静まった頃、私はトイレに行きたくなり目が覚めました。
祖父母の家は昔ながらの古民家といった感じの佇まいで、夜に見せるその表情は小学生の子供には余りに怖すぎて、とてもじゃないですが一人で一階のトイレになんて行けませんでした。
仕方なくそのまま我慢しようかとも思ったのですが、やはりそのまま眠ることも出来ず、どうしようかと窓から外を眺めながら考えていました。
窓の外にある家の前の空地をぼーっと見ていると、奥の草木が茂っている辺りに、月明かりに照らされて何かが見えました。
それは丸い石の置物のようなものでした。
空き地にあんなものがあるなんて全然気付かなったなと思いつつも、遂にトイレの我慢も限界に達した私は、気が咎めるものの、やっぱり従姉妹のお姉ちゃんを起こすことにしました。
お姉ちゃんは眠そうな目を擦りながらも、優しくトイレまで連れて行ってくれました。
用を足して部屋に戻る時、お姉ちゃんにさっき見た石の置物のことを話してみると、お姉ちゃんはちょっと顔をしかめてこんな風に言いました。
「井戸でしょ?あんまり見ない方がいいよ。」
井戸というものを初めて知った私は、見ない方がいい理由も聞きたかったのですが、深夜に起こしてしまった罪悪感もあって、流石にそれ以上聞くことは出来ませんでした。
部屋に戻って布団に潜り込み、もう一度寝ようと思ったのですが、既に目が覚めてしまっていて眠れません。
それに見るなと言われると余計にあの井戸も気になります。
私は再び布団から出ると、カーテンの間からこっそり井戸を見てみました。
横の木が影になって全体はよく見えませんが、井戸の上のフタのようなものが半分開いているのが分かります。
当時はあの有名な映画もまだ公開されていませんでしたが、茂みの奥にひっそりと佇むその井戸はとても不気味で、何となく怖くなったのを覚えています。
ブルッと身震いして、やっぱり布団に戻ろうとした時、フッと井戸の横に人が立っていることに気が付いたんです。
その人は1m程離れた場所から井戸を見つめていましたが、しばらくするとスーッと井戸に近付き、半分開いた蓋をゆっくりと押して、『ゴトッ』と蓋の縁が片方地面に付きました。
するとその人は、井戸の上に半分身を乗り出すと、ジッと中を覗き込んでいました。
(こんな時間に何をしてるんだろう…)
と、ぼんやり考えながら、私もその人のことをジッと見つめていると…気が付いたんです。
その人、体が半分透けているんです。
それは明らかに人の形を為し、その手は井戸の縁を掴むようにして体を乗り出しているものの、月明りはそれを透過して地面を照らしているのが分かります。
「ヒッ…!!」
それに気が付いた瞬間、私は声にならない悲鳴を上げ、この人と目を合わせてはいけない、気付かれてもいけないと感じ、急いで布団に潜り込みました。
とにかくこのまま朝まで耐えようと、私は布団の中で震えながら朝が来るのを待ちました。
いつの間に寝ていたのか、気が付くと辺りは明るく、すっかり朝になっていました。
私は直ぐに布団から飛び出し、窓から昨夜の井戸を見下ろしました。
すると、やっぱり空地の奥に昨夜見た井戸がそのままあったのですが、その蓋はきっちりと閉ざされています。
それに昨夜はあれほど不気味に見えた井戸も、晴天の下で見ると全く恐怖はなく、昨日のことは全部夢だったのかと思えてきました。
ですが、(この話をすれば、みんなを怖がらせられるかもw)と悪知恵が働くと、何だか私は楽しくなってきて、朝食の席で祖父母や従姉妹のお姉ちゃん達に昨夜のことを話してみたんです。
すると、従姉妹のお姉ちゃんが少し苦笑いしてこう言ったんです。
「見ちゃったかぁ。」
続いて祖父も、
「気にしなくていいよ。」
と、少し片目を閉じたような笑顔で言いました。
予想外の反応で、逆に真顔で呆気にとられている私に、祖父は言葉を選びながらあの井戸のことを話してくれました。
祖父の話によると、あの空き地には昔、祖父の友人の家があったそうです。
井戸もその友人の家のものだったそうなのですが、戦争でその友人は海外で戦死し、後に木箱に入った小さな骨だけが戻ってきたと言います。
友人の母親は息子を失ったショックで精神を病み、それ以来どういう訳か、夜な夜な井戸を覗き込み、その水面下に息子の体を探すようになったのだそうです。
その母親もしばらくして病死されたそうで、それ以来あの井戸には母親の霊が出るという噂が立ち、祖父もそれを見たことがあると言います。
目が合うと、無事戦争から帰って来た祖父を羨むように、その母親は口惜しそうな目で睨んできたと、祖父は淋しそうに話してくれました…
それ以来、用も無くあの井戸は見ないようにしているとも…
私も今は母となり、その母親の気持ちが分かるような気がします。
「なぜ自分の子が…」
戦争に翻弄され若くして亡くなってしまった息子と、その後に訪れる現代の平和。
戦争への恨みは残っても、それでも人は恨み切れないという人間らしさの葛藤。
何だかそんな母心が見え、それが心苦しくも感じるのです。
その祖父母も亡くなり、今ではほとんどあの家を訪れることもありません。
あれから数年後、井戸は撤去され、今は小さな公園になっています。
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