体験場所:愛媛県I市
私の祖父母は愛媛県のI市で暮らしています。
そこは海に近い静かな田舎町で、当時、同じ県内のM市に住んでいた私は、幼い頃から休みの度に家族で祖父母の元を訪れるのが楽しみでした。
祖父母の家に滞在中、特に楽しみだったのが、祖父母の飼っている愛犬マルを連れて祖父母と一緒に田舎道を散歩する時間です。
優しい祖父母の話すたわいのない昔話が面白くて、何時間もブラブラと散歩をすることもありました。
私が小学校3年生の夏のことです。
その年も夏休みを利用して祖父母の家に1週間ほど滞在することとなりました。
到着して早速、挨拶も早々に私は待ちきれず祖父母と一緒にマルを連れて散歩に出発しました。
その年も暑い夏でしたが、田舎道を歩いていると涼しい木陰に爽やかな風が吹き込み、とても清々しい気持ちになります。
心地よい風に背中を押されながら、それまで散歩したことのない道を探したくて、私は山道をグングンと進みました。
すると20分ほど進んだ場所に、山中にもかかわらず突然白い建物が見えてきました。
白くて角ばった巨大な木綿豆腐のような、特徴のないその建物は曲がりくねったツタがまとわりついており、みるからに不気味な様相を呈していました。

不思議に感じた私は、クルッと後ろを歩いていた祖父母に向き直って「ねぇ、これなぁに?」と聞きました。
質問すると同時に、祖父母が真っ青な顔をしていることに気が付きました。
震えているようにも見える祖母の横で、険しい表情の祖父は「ここはいかん。帰るぞ。」と静かながら力強い声を響かせ、私の質問には答えないまま帰路につきました。
帰宅後、夕食の場でも祖父母は全く山中の建物について触れることなく、私は気になって仕方がありませんでした。
そこで、祖母と一緒に入ったお風呂の中で、思い切って質問をぶつけてみたのです。
「おばぁちゃん、今日お散歩中に見つけたあの建物はなぁに?」
すると祖母の表情はみるみるうちに青ざめ、
「しっ!その話はしたらいかんの。」
と言って私を制しました。
とはいえ興味津々な小学校3年生は、そう簡単に納得しません。
「なんでなんで?気になって今日は眠れないよ!」
そう駄々をこねる私に、祖母は溜息をつき、諦めたように語り始めたのです。
「太平洋戦争でこのI市の辺りはひどい空襲を受けたんじゃ。
その時にな、空襲の被害に遭った学生さんが数人、大けがをおって苦しみながら山道をはいずり回ったんじゃ。そうしてたどり着いたのが今日見た診療所じゃ。」
私は思いもよらない話に背筋がゾッと寒くなりました。
祖母は続けます。
「やっと辿り着いた学生さんじゃが、到着したときにはもぅ手遅れじゃった。よほど苦しかったんじゃろう。診療所の医師の腕を強く強く握って『憎い、こんな想いをさせられて憎い、この恨みは消えん』そう言って亡くなったんだそうな。」

聞いてしまったことを後悔し始めた私をよそに、祖母は更に続けます。
「学生さんは、なぜ自分がこんなに苦しい想いをせねばならんのか、誰によって苦しめられたのか分からなかったんじゃ。だからな、学生さんの強い【怨み】は行き場がなく、あの診療所に残っておると言われておってな。」
「学生さんが亡くなった数日後、診療所の医師が亡くなったと思ったら、医師の奥さんや働いておった看護師さんも次々と亡くなってしもぉた。
それからあの診療所には近づく者はおらんのよ。取り壊しの話もあったが、解体現場で謎の事故が続いてな。
今では話すことも良しとされん。」
私は怖くて怖くてたまらなくなって、その夜は全く眠れなくなってしまいました。
誰かに向けられた怨念ではなく、行き場を亡くした怨念が、最期を迎えたその場に留まることもあるのだと初めて知り、幼心にその時は、人の想いの強さというものに恐怖を感じました
廃墟と化した診療所に漂う行き場のない怨念。
それが浄化の矛先を持たぬまま、悲痛な叫びを上げ続けているのかと思うと、もちろん怖くもあるのですが、今ではそれ以上に胸を締め付けられるような寂しさも込み上げます。
無念にも亡くなられてしまわれた方々のご冥福を、心よりお祈りします。
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