体験場所:東京都S区の児童公園
これは今から10年以上前、東京都S区の某公園で体験した話です。
当時、私はよく公園のベンチで本を読んで過ごしていました。
大きな緑地公園から小さな児童公園まで、近所の公園を気ままに歩き回っていたのです。
その日は、自宅から結構な距離を歩いた先にある小さな児童公園に出掛けました。
近くには雰囲気のいい喫茶店があり、その児童公園に行く時は、いつも帰りにそこへ寄り道するのも楽しみでした。
公園では何組かの親子連れや小学生が遊んでいました。
そんなのどかな景色を見ながらベンチに腰を降ろすと、私は早速本を広げ文字を追い始めたのです。
しばらく経った頃です。
私は少し妙なことに気が付いたんです。
何となくなのですが、小学生の男の子が遊んでいる割りには随分と辺りが静かなのです。
子供たちが周りに気を使って騒がないようにしているのか、軽い緊張感さえ感じます。
今は小学校でそのような指導もされているのかと、現代っ子は大変だなと思ったりしながら、本から視線を上げました。
辺りにはそこそこ大きな木もあり、狭いながらも薔薇も植えられている公園内を見回します。
薔薇の生け垣の周りに子供がいないのは、草花を気遣ってのことでしょうか。
今の子供たちは本当に色んな事に気を使って生きているのだなと思うと、感心すると同時に、少し可哀そうにも思いました。
そんなことを思いながら、ぼんやり花壇を眺めていると、やけに看板や貼り紙が多いことに気が付きました。
花壇の注意書きかな?と思って目を凝らし、改めてその内容を見てみると、どうやら少し様子が違うようでした。
うるさい、騒ぐな、あれをするなこれをするな・・・
これまで何度か来ていた公園でしたが、やけに利用者に対する苦情めいた看板や貼り紙が多いことに初めて気が付いたのです。
(遊具もある児童公園なのにな)と思い、うるさいくらいに訴える看板や張り紙に違和感を覚えながらも、私は視線を本へと戻しました。
しばらくして、大きな音に驚いて私は再び顔を上げました。
幼稚園くらいの小さな子供が、すべり台の坂の下で転がっています。
どうやら立ち上がろうとして転んでしまい、すべり台の鉄板に尻餅をついた音だったようです。
よくあることだと思っていると、周囲にいた親子連れがやおら慌て出しました。
大急ぎで帰り支度を始めています。
辺りで遊んでいた小学生もそわそわして、中には自転車へと駆け出す子もいました。
何事かと私は唖然としてその様子を見ていると、いつからそこにいたのか、公園の入り口に女が立っていました。
一目で常人ではないと分かる女です。
全身真っ白な服、白い手袋、長すぎる髪は整えられることもなく乱れ飛んでいます。
目つきも尋常ではありません。
すると女が子供たちの方へ無造作に直進して行きます。
お母さんたちはみんな子供をかばう姿勢をとっていました。
「うるさいんですよ~」
「どういうしつけしてるんですか~」
「鉄板の音がガンガンガンガン・・・」
女はそんなことを喚きながら、いきなり一人の子を平手で打ちました。
叩かれた子が「ひっ…」と声も出せずに硬直すると、更に女はくるりと向きを変えて私の方へ突進して来たかと思うと、そばに隠れていた小学生の腕を掴もうとしたので、私は咄嗟に間に入ってかばいました。
「この子の親なんですか?なんできちんとしつけしないんですか?」
と、女は唾を飛び散らせながら捲し立てるように喚き散らします。
一般の常識を持って社会で暮らしていたら、私とその小学生が親子でないのは一目瞭然のはずです。
なのにこの女はそうじゃない。
普通ではない。
異常なのだ。
それが分かった瞬間、背中が冷たくなりました。
私は小学生をかばいながら後ずさりで女と距離をとり、なんとか公園の外に出て110番通報をしようと電話を取り出した時には、既に他の人が通報した後でした。
間もなく警察が到着。
女はなぜか「公園の騒音の被害者である自分を助けに来てくれた」と解釈したようで、警察官に媚びを売るようなくねくねとした仕草まで見せ、喜んでパトカーに乗って行きました。
女が去った後、そこにいた誰もが暫く呆然と立ち尽くし、歪んだ日常から我に返った人から静かに帰って行きました。
残っていた親子連れの話によると、あの女は公園横のアパートの一階に住んでいて、以前から公園へ怒鳴り込んで来ることがあったそうなのです。
だからこの公園の利用者は、出来るだけ音を立てないように警戒して遊んでいたということでした。
あの苦情めいた看板や貼り紙も、女の要求で区が仕方なしに設置したものがどんどん増えた結果なのだそうです。
子供が寄り付かない薔薇の生け垣は、女の住むアパートの部屋に対する目隠し兼防音のために区が植えたという噂があるほどでした。
つまりあの女は、ご近所公認のいわゆる狂人なのだそうです。
確かに女と目が合った時、その目は間違いなく常人のそれとは違いました。
(殺される)と無意識に身構えてしまうような、これまで見たことがない目でした。
その日、まるで白昼夢の様な恐ろしい体験をした私は、以後その公園へ行くことはありませんでした…と話を終えたいところですが、実は半年後に、私は再び公園の様子を見に行きました。
あの日、私が読書をしていたベンチでは、大学生らしき男性が煙草を吸っていました。
私は、向こう側に女の部屋があるという薔薇の生け垣の辺りを、息を潜めて歩いてみました。
色とりどりに咲く美しい薔薇の向こうには、少し古ぼけたアパートが見えます。
あの一階に女が住んでいるのかと思いながら静かに歩みを進め、何事もなく花壇の反対側まで辿り着き、ほっとして立ち去ろうとしたその時でした。
アパートの一階、中央辺りの部屋の窓が突然勢いよく開いたかと思うと、
「おほほほほほほほ」
という、およそ日常生活では耳にしない種類の笑い声が聞こえたのです。
「おほほほほほほほ」
「おほほほほほほほ」
「おほほほほほほほ」
すでに公園を出ようと走る私を取り巻くように、笑い声はいつまでも続きます。
どっと汗が拭き出し、兎に角がむしゃらに走り、公園を出た信号のところで同じように逃げてきた大学生に声を掛けられました。
「な、何なんですかあれ?やばいですよ」
笑い声を聞いた大学生は、その好奇心からわざわざ部屋の窓を覗きに行ったのだそうです。
するとそこに、顔面白塗りに真っ赤な口紅を引き、全身真っ白な服を着た女が、乱雑な長い髪を振り乱し高笑いしている姿が見えたということでした。
この後、私は本当にその公園には近寄っていません。
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