【怖い話】心霊実話|短編「踏切の向こう側」千葉県の恐怖怪談

投稿者:ふじまるじゅん さん(40代/男性/会社員/千葉県在住)
体験場所:千葉県某所
【怖い話】心霊実話|短編「踏切の向こう側」千葉県の恐怖怪談

備えあれば憂いなしという諺がある。

私の行動の根幹に常にその言葉があり続ける理由は、主に幼少期の体験によるものが大きい。

小さい頃、恐らくは小学性くらいの年齢まで、私は人には見えないもの、いわゆる幽霊や心霊、妖怪など、ここではそれらを『怪異』と呼ぶことにするが、それらを頻繁に目にしていた。

この話は私の記憶に残る中で、おそらく最初の『怪異』と出会った話。

私が幼少の頃、ちょうど今くらい時期、お盆の頃になると、千葉にある父方の祖父母宅に帰省するのが毎年の恒例だった。

その年も親戚が集まる祖父母宅に帰省していた。
うだるような暑さの真昼のことだった。

まだ小学校に上がる前、幼稚園生くらいだった私は、大人たちが集まりガヤガヤと騒がしくしている場に飽き飽きしていた。

だが、遊び相手の従兄弟たちは昼寝をしていて私は一人の時間を持て余していた。

そんな時、軒先を見ると従兄弟の三輪車が目に入った。

母親に三輪車に乗っていいかと聞くと、普段なら小さい私が一人で遊ぶことを許さない母親も、大人たちの付き合いで余裕がなかったのか「近くで遊ぶんだよ」と言ってすぐに了承してくれた。

三輪車を独り占め出来た私は嬉しくて、これさえあればどこにでも行けるんじゃないかと夢想し、ワクワクして三輪車にまたがった。

家からほんの少しいった場所には上り坂があり、登り切ったところに踏切がある。
大人たちは、子供たちだけで踏切を渡ってその先に行くことを禁じていた。

三輪車にまたがり得意になっていた私はそんなことを思い出していた。

庭先から振り返ると、家の中の大人たちはこちらの様子を全く気にしていない。

「チャンスだ」

どこまでも行ける。
幼い私はそんな高揚感を感じながら果敢に前進していた。

気付けば直ぐに踏切の前まで来ていた。

夏の強い日差しが辺りを白く染めている。

背徳混じりのドキドキを感じながら、私はペダルを踏み込み、線路の溝でガタガタと上下しながら踏切の向こう側に渡った。

渡り切った瞬間、けたたましい踏切の警報音が鼓膜を突いた。

『カンカンカンカンカンカンカンカン』

何故か目に映る景色がセピア色に染まった。

その瞬間、目の前から大勢の大きな大人たちが列を成し、一糸乱れぬ規則的な足音でこちらに向かって来た。

『ザッザッザッザッザッザッザッザッ』

不意に現れたその光景を目前に、私の心臓はドッドッドッドッと早鐘のように鼓動した。

恐怖よりもその出し抜けに現れた異常性に戸惑い、私はその場から動くことが出来なかった。

整然と列を成した大人たちがどんどん近づいてくる。

大人たちの顔は見えないが右手に長い棒のようなものを持ち、それを右肩に乗せている。

説明の出来ない何かが初めて私に『死』というものを感じさせた。

それに耐え切れず私は目を閉じた。

その一寸先、私は踏切を渡る直前のところで母親に抱きしめられる形で止められていた。

踏切の遮断機は降り、警報音が鳴っていた。

後日、母親に聞いた話によると、私は母親の呼び声に反応することもなく、閉じようとする踏切に向かっていたそうだ。

遮断機が目の前で降りているにも関わらず、ペダルを漕ぐ足を緩めようとしない私を、母親は必死に走って抱き留めたとのことだった。

ならば先ほど目にした光景は何だったのだろう…
その疑問は長い時間をかけ、初めて体験した『怪異』として私の中に記録された。

それから時が経ち、少し大きくなった頃、私は父や叔父に踏み切りの向こうに行ってはいけない理由を聞いた。

幼い頃の記憶に残る怪異、その因縁が何か隠れていると思ったからだ。

だが返ってきた答えは『子供を目の届く範囲で遊ばせる』その範囲があの踏切の手前まで、単にそれだけの理由だった。

この話を読んだ人の中には、幼かった私が見たものを「子供の記憶違いだろう。」などと思う人もいるかもしれない。

しかし私の場合、見たものの正体を不意に知ることになった。

中学の教科書に掲載されている写真にその答えがあったのだ。

一糸乱れぬ足音で向かってきた大人たちの行列、それは行軍する大日本帝国軍隊の姿だった。

右手に持ち、肩で支えていた長い棒は軍用銃だった。

当時の幼かった私は、そんな光景を知る由もなかった。

祖父母の家の前の踏切と、大日本帝国の行軍に何か因縁があったのだろうか?
そして、なぜ私がそれを見ることになったのか?

全ては謎のままだが、『怪異』とは得てしてそいうものなのだと私は思う。

それ以来だろう。
私が『怪異』というものに強い関心を示すようになったのは。

同時にその対処法も知りたかった。
二度と『死』を感じるような目には会いたくないからだ。

「備えあれば憂いなし。」

この言葉が私という人間の核を為すようになった切欠だった。

しかし、当然そんな情報は学校の教科書などには書かれていないし、どんな書物にも正確には明記されていない。

でも、だからこそ『怪異』に対する私の探求心は余計に深まった。それは、とてもとても異常なほど強く。

そういえば「備えあれば憂いなし」の憂いは「患い」とも書かれる。
憂いと患い(わずらい)は同義語なのだそうだ。

患いは「病気。やまい。」という意味もある。

私は初めて『怪異』と出会ったあの日から、深い病に侵されているのかもしれない。

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