体験場所:熊本県熊本市
これは私が実際に体験した話です。
私がまだ幼稚園児だった頃のことです。
当時は熊本県熊本市にあるすごく古いアパートに、両親と弟と私の家族四人で住んでいました。普通に歩くだけでも床がきしむほどで、虫もたくさん出るような、そんなアパートでした。
間取りは確か2DKだったと思います。
玄関から入って右手に台所があり、その奥には勝手口。左手には寝室が一部屋とトイレとお風呂。台所を向いて背中側にリビングが広がっていて、そこにもう一部屋隣接している造りだったと思います。
ある朝のことでした。
家族の中で一番最初に目が覚めた私は、リビングに行って毎日見ていた某局の子供番組を見ていました。
台所と反対側のリビングの壁、ちょうどその真ん中辺りにテレビがあり、私は台所を背にする形でテレビを見ていたんです。
テレビを見終わった私は、まだ寝室で寝ている父と母を起こしに行こうと思い、くるりと台所のほうを向いた時でした。
真っ黒な人影が、ゆっくりと台所を横切って行ったのが見えました。
寝室の方から、台所の奥の勝手口の方へ向かうように。
本当に真っ黒で、目や服なんかは認識できませんでした。
ですが、なぜか男の人というのは分かりました。
怖いとは思わなかったのか、私はなぜか追いかけてみようと思い、台所の奥に向かって走り出しました。
ですが向かった先に黒い人影はありませんでした。
勝手口を使った気配もなかったのに。
とりあえず父と母に知らせなきゃと思い、両親を強引に起こして今見たもののことを話しました。
すると、父と母はなぜかしきりに「お父さんだよ」と言っていました。
絶対に違う。今目の前にいる父とあれは、完全に別の人でした。
そうは思ったのですが、証拠があるわけでもなし、なにより目の前の父本人が「お父さんだよ」と言っているので、私は無理やり納得するしかありませんでした。
もう一度見て確認したいと思っていたのですが、それ以来、黒い人影どころか、それらしい存在を一度も目にすることもないまま、私は高校生になっていて、すっかりそのことを忘れていたんです。
ある日、父方の祖父が孤独死している、と親戚から知らせがありました。
私にとっての祖父、父にとっての父です。
当然、私たち家族もその葬儀に参列しました。
季節は真夏でした。
祖父の遺体は相当腐敗が進んでいたらしく、息子である父でさえ亡くなった祖父の姿を見ることは出来ませんでした。
火葬して荼毘に付し、祖父のお骨を壺に拾い上げている時のことです。
祖父の喉仏の骨を拾っていると、急に何かぞわっとしたのを覚えています。
突然背筋に悪寒が走り、箸でつまんでいた喉仏の骨を落としてしまったのです。
落とした骨をもう一度拾おうと体をかがませた瞬間でした。
正面の視界の端に、幼稚園児の時に見た真っ黒な人影が立っているのが見えました。
前は横向きでしか見えなかったのですが、今回は真正面で見ることが出来ました。もしくは後ろ向きだったのかもしれません。前後の判断がつきにくかったように思います。
それはそこから動くこともなく、祖父の遺骨をじいっと見つめているように見えました。
それならやはり正面なのだろうと思うと同時に、得体の知れない恐怖を感じた私は、誰か他にも目撃者を求め、以前から霊感があると言っていた弟に耳打ちしました。
「ねぇ。ずっと前に話した、黒い人影がそこにいるんだけど…」
すると、弟は目を少ーし細めたかと思うと直ぐに、「見えんよ」と返してきました。
もしかして、私以外の誰にも見えないのかと不安に思っていると、突然横にいた父と母が、
「ほら、お父さんでしょ…」
「お父さんって言ってたじゃん…」
と、何度も同じことを小声で言い始めたのです。
一体何を言っているのかと、父と母の方を振り向いて私はゾッとしました。
父と母は黒い人影を指差しながら、
「ほら、お父さんでしょ…」
「お父さんって言ってたじゃん…」
「やっぱりお父さんだ…」
「ね、お父さんでしょ…」
と、私に対して呟くようにブツブツと言っているのです。
そこでハッと思い出したんです。
小さい頃、私が見た黒い人影のことを父と母がかたくなに「お父さんだよ」と言っていたことを。
もしかして、あの時の父と母が言っていた「お父さん」って、祖父のことだったのでしょうか…?
結局、祖父の遺骨を見ていた黒い人影は、しばらくすると、すうっといなくなってしまいました。
あれから今に至るまで、あの黒い人影を見ていません。
父と母は、あの日、何回も「お父さんじゃん」「お父さんだよ」と言っていたことを、全く覚えていないと言っています。
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