体験場所:千葉県
高校時代、私は地元北海道の学校で吹奏楽部に所属し、サックスを担当していました。
当時、周りの友人が次々と受験戦争に駆り出されていく中、自分に甘い私はというと、人と競争することを早々に諦め、体験入学に参加するだけでほぼ合格が確定する音楽の専門学校に進学することを決めていました。
部活の引退後は、専門学校で上京するまでの間、私は街で有名なサックス講師に従事し、楽器を習っていました。
先生は私の両親より少し年上の男性でした。
有名アーティストのバックバンドでも演奏したりしている人なのに、そんなことを決して鼻に掛けることもなく、音楽のこと以外でも何でも相談できる優しく頼りになる人でした。
自分の生徒をよく褒め、発表会なんかでも頃合いを見計らっては生徒をステージにも立たせてくれる、そんな素晴らしい人柄であったため、誰からも好かれ、尊敬され、先生の周りにはいつも沢山の人がいました。
少し時間を進めますが、私は専門学校へ入学して上京後、自分のわがままで専門学校を辞めて、地元に都落ちすることになりました。
そんな風に再び北海道に戻って来た頃、先生は変わらずサックス教室で楽器を教えていましたが、他にもジャズバーをオープンし、夜はそこのマスターとして働いていました。
基本的には先生が作ってくれるお酒を飲みながら、店内を流れるジャズを楽しむお店なのですが、演奏したい人がいれば自由に演奏させてくれるという、先生の人の良さで成り立っているお店といっても過言ではありませんでした。
私はというと、その頃、アルバイトをしながら夜はアコースティックギターでストリートライブをし、『自分が楽しければいいや』というような生き方をしていました。
北海道の冬の夜のストリートライブは、かなり体に堪えます。
外の気温はマイナス10度。地元の人でも長時間の外出は避けたくなる寒さです。
それでも私が路上で歌うのは、ただただ楽しかったからでした。
先生は、そんな自分勝手な生活を送る私にも、歌う場所を提供してくれたり、「寒くなったら店に来い。コーヒーくらいタダで飲ませてやる」と言ってくれたり、必要な時は駐車場も貸してくれました。
そこまでしてもらえる程、私は先生の元でサックスを頑張っていたわけではありません。
本当に人がいいのです。
ですが、それから数年後、私はまた自分のわがままで、再び今度は千葉に行ってしまったのです。
それ以来、先生ともめっきり会う機会がなくなりました。
連絡といってもSNSで誕生日にお祝いの言葉をお互いに贈るくらいで、ほとんど顔を見ることもなくなりました。
それからあっという間に15年が経った頃、私は音楽とは何の関係もない仕事に就いていました。
書かれた文字の間違いを見つける、いわゆる『校閲』という仕事ですが、それはそれで誇りを持って働いていたのです。
そんなある日のことです。
紙とペンを相棒に、いつものように机に向かい仕事をしていた時、ふと、高校3年生の頃、先生の下でサックス発表会に参加した時の映像が、突然私の頭の中に浮かび上がってきました。
映像は、当時、私がステージに立って演奏しているところを、客席から実際に撮影したホームビデオのものです。
突然なぜそんな懐かしい映像が頭の中で再生されたのかは分かりませんが、私は知らず知らずのうちに、映像の中で演奏していた曲を口ずさみ、軽快なリズムにのって仕事をこなしていました。
時刻はちょうどお昼の12時くらいでした。
当時の曲をリフレインしていたのが効果を発揮したのか、私は驚くほど仕事に集中していました。
「やば!お昼ご飯食べなきゃ!」
気が付いた時には大分時間が経過していて、目の前にある仕事をキリのいいところまで仕上げると、私は急いでランチに向かいました。
一度思い浮かんだ音楽が、一日中、頭の中を流れ続けることはよくありますが、正にその音楽もそうでした。
お昼を食べ終わっても、私の頭の中はあの時の懐かしい音楽でいっぱいでした。
そのおかげで午後の作業もとても集中でき、その日の仕事は大分はかどりました。
その後、意気揚々と帰路に付き、家に帰って晩ご飯を食べている時のことでした。
何の気なしにSNSを開くと、沢山の投稿の先頭に、先生の投稿があったのです。
あまりSNSを更新することがない先生が「珍しいな…」と思いながら、私はその投稿を読み始めました。
すると、その文章を読んで私は気が付いたのです。
投稿は、先生の息子さんが、先生のアカウントを使って投稿したものなのだと。
『本日お昼頃、父が病気療養中のところ、永眠いたしましたことをお知らせ致します。』
「え……?先生が……亡く…なった……?」
突然の知らせに、私は今自分が目にしている文章を信じることができず、先生と繋がりのあった他の人の投稿を漁ってみることにしました。
すると、先生を慕っていた多くの人が悲しみの声を上げていました。
その悲痛は文章からも伝わってくるほど痛ましいものばかりでした。
「私は…知らなかった。先生が病気だったことなんて…知らなかった。」
ショックでした。
先生が亡くなられた悲しみもそうですが、あれだけお世話になっておきながら、どうしてこんなにも長い間、先生に会いに行かなかったのか、薄情な自分に怒りが込み上げてきました。
あの日、お昼に突然頭の中で再生された発表会の映像。
もしかしたら、あれは先生の魂が最後に私に見せてくれたものなのでしょうか…
時間も、私の頭の中に音楽が流れ始めたのがお昼の12時頃、その時が正に先生が息を引き取った時間でした。
先生が私のことを覚えてくれていて、気にかけてくれていて、最後に挨拶に来てくれたのかと思えば思う程、私は最後まで先生に顔を見せることもなく、好き勝手やっていたんだなと、自分が悲しくなりました。
私の他にも沢山の教え子を持っていた先生が、私のところにも来てくれたことに、「ありがとうございます」と言いたいけれど、もう伝えることもできません。
先生、私は元気です。
今もまだ、先生に習ったサックスを吹いていますよ。
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