体験場所:静岡県藤枝市 S民の森 駐車場
十月二十日の今日、私が実際に体験した出来事をありのまま書こうと思う。
これを書き始める数時間前に体験したばかりの出来事だから、記憶が鮮明な内に書いておこうと思ったのだ。
※最後の後日談だけは後から付け足した。
休日の今日、気分転換に地元の田舎道をドライブしていた。
見渡す限り田園や山ばかりが広がる道路を風景を楽しみながら運転する、そんな気楽なドライブだ。
この時期にここを通ると、段々と色付く木の葉や色とりどりのコスモス、稲刈りを終えたばかりの田んぼ等、秋の風物詩が目を楽しませてくれる。
今年もまた秋の景色に癒されることが出来て気分が良かったので、今日はこの先にある山道にも行ってみようと思い更に車を走らせた。
急勾配の曲がりくねった道をひたすら登ると、ようやく山頂付近が見えてきた。このまま真っ直ぐ行けば、地元へと続く道に繋がっている。でも今日はそこにある分岐を右に曲がる事にした。
というのも、その分岐には看板が置かれていて、そこに書いてある「Sの森」という場所が前から気になっていたからだ。
右折してから五分ほど細い山道を慎重に進むと、左の方にSの森の駐車場が見えてきた。
思いのほか広い駐車場には、車が十数台は停められそうなスペースが広がっている。
ただなぜか、駐車場の中央部に幾重にも重ねられたタイヤ痕が刻まれていたのが印象に残っている。
平日という事もあってか他に停まっている車は一つも無かった。
これ幸いと一番見晴らしの良さそうな場所に車を停めて、そこで昼休憩を取る事にした。
車の窓を開けると、澄んだ空気が出迎えてくれた。
辺り一帯は緑豊かでひと気も全くなく、心地良い静寂に包まれていた。
先程コンビニで買い込んだ弁当を車の中で食べ、ゆったりとしたランチタイムを楽しめた。
お腹も膨れてまったりとした後、腹ごなしに辺りを散策にでも出ようと思ったが、近くにある「サル注意」の看板を見て、車内でゆっくり過ごす事にした。
車の中で暫くスマホを見ていたが、少し疲れてしまい、昼寝がしたくなった。
座席を倒して仰向けになると、穏やかな環境も手伝ってか私はすぐに眠りに就いた。
「●△―、×■〇〇―」(判別不能)
どれくらい経っただろうか。
不意に男性の声が聞こえて目が覚めた。
何を言っているかは聞き取れなかった。
誰か来たのかなと、一応外を確認してみようと体を起こしたタイミングで、一台のバイクが駐車場の前を通り過ぎて行くのが見えた。
その姿をぼうっと眺めながら周囲を見渡してみたが、他に人影は見当たらない。
(あれ?今誰か喋ってたような…割とすぐ近くで聞こえたんだけどなぁ)
そんな疑問符がワンテンポ遅れて頭に浮かんだが、再び睡魔に襲われてまたすぐに眠ってしまった。
「●△―、×■〇〇―」(判別不能)
先程と全く同じ男性の声が聞こえて、また目が覚めた。
数秒遅れて体を起こすと、一台の軽自動車が目の前の道路を通り過ぎて行った。
そのまま周囲を見渡すが、やはり他に誰も居ない。
なんだろうか、この違和感は。
声はすぐ近くで聞こえたはずなのに、辺りに人影がない。
車は駐車場の端の方に停めていて、すぐ隣は崖になっているから、その間に人が立つなんて事は考えにくい。
駐車場の前を通り過ぎた車やバイクの運転手は、距離やタイミング的にも無関係だろうが、どちらも通り過ぎる直前に謎の声が聞こえたのは偶然にしては少し気味悪く思えた。
なにより、気味が悪いと言えばやはりあの声だ。
周囲に人の気配はないのに、時間をおいて二度も、一体私は何を聞いたのだろうか。
少し遠くにいる誰かに向かって、やや大きな声で一言か二言発している感じの男性の声。
だが不意に聞こえる声は、私の頭が覚醒していなかったせいか、その内容は全く分からなかった。
けれど直感的に、一度目も二度目も全く同じ事を言っているという確信があった。
朦朧とした意識の中でそんな事を考えている時、すごく嫌な予感がしたのを覚えている。
私は反射的に車の鍵を掛けた。
その直後、眠気というよりも眩暈の様な感覚が体を襲い、そこで意識が途切れた――
「キィィイイイィィィィーーー」
耳をつんざくようなけたたましい鳴き声が聞こえた。金切り声という表現がピッタリくる、理性を感じさせない獣の様な鳴き声。その声で再び意識が戻った。
今聞いた金切り声が耳に嫌な余韻を残す。とても不快な鳴き声だった。
さっきの看板にも書いてあった通り、やはりすぐその辺にサルが出没して鳴いているのだろうか。
折角ゆっくり眠れると思っていたのに、こう何度も起こされてはたまらない。もう車を出そうと思い起き上がろうとすると、身体が動かなかった。
精一杯の力を込めて動こうとしているのに指先一つ動かせない。それどころか、瞼を動かす事すら出来なかった。
すぐに自分がいわゆる金縛りというものに遭っているのだと理解した。
数年前、真夜中に金縛りになった事は一度だけあったが、まさかまだ昼下がりのこんな時間に再び遭遇するとは思ってもみなかった。
頭にはずっと靄がかかった様な感覚で、ぼうっとしたままだった。
眩しい陽の光が瞼越しに伝わってくる。
目の前には瞼の色が肌色のスクリーンの様に映し出されていた。
私の今の状況とは裏腹に、辺りには穏やかな陽差しが降り注いでいるのだろう。
もしこれが夜だったら、その恐怖に私は飲まれていたかもしれない。
そんなことを考えながら肌色のスクリーンを見ていると、どこからともなく影が出てきて、それがゆらゆらと揺れ始めた。
辺りの木々がそんなに激しく揺れているのだろうか。木々のざわめく音はしないのに、と、不思議に思っている間も影の揺れは更に激しさを増していった。
わずかの間をおいて、それが木々の揺れとは無関係だと分かった。
揺れる影は次第に輪郭をはっきりとさせ、目を閉じていても瞼の向こうに透けて見えるそれが何なのか、まざまざと分かる姿を形作った。
人間の手だった。
それは見る見る内に数を増やし、少なくとも十本以上の手がまるで影絵を見ているかのように瞼の上で揺れていた。どれも実際の手よりも小さく見えた気がする。
しばらく瞼の上に浮かぶように揺れていた複数の手だったが、突然それらは叩き付けるように瞼の表面に張り付いてきた。
伝わるかは分からないが、そのイメージはドラマ「怪談新耳袋」のオープニングで流れる、あの無数の手形の映像に近いように思う。
その間も無我夢中で身をよじるのだが、何度試しても金縛りが解ける事はなく、その時間はとても長く感じられた。
するといつの間にか瞼の上に張り付いていた手の影は消えていた。
しかし金縛りが緩む事はなく、成す術なく仰向けになっていると、不意にどこからかバイクの音が聞こえて来た。
音に耳を澄ますと、そのバイクは通り過ぎることなく駐車場に入って近づいて来るのが分かる。かと思うと音はまた遠ざかる、かと思えば音はまたすぐ近くなる、そんな現象が繰り返された。
(一体、何をしているのだろう?)
そう思った時、この駐車場の中央部に付いていたタイヤ痕を思い出した。
恐らく今このバイクは、円を描くようにしてあの場所をぐるぐる回っているのだと分かった。
(変な人じゃなければいいけどなぁ~)とか(さっきドアをロックしておいてよかったかも)等とぼんやり思っていると、いつの間にかバイクの音は遠ざかったまま戻らなくなり、再び辺りを静寂が包んだ。
その辺でまた意識が遠くなった。
次に目が覚めた時、瞼はスッと開いた。体も動かせるようになっていた。
自由を取り戻した私は急いで周囲を警戒したが、辺りには何の気配もなかった。
見上げると、さっきまで日差しが降り注いでいた空はいつの間にか厚い雲で覆われていた。
ここに車を停めてから2時間半余りが経過していた。
食事を摂り、ゆっくりくつろいでいた時間を差し引くと、あの奇妙な体験をしていたのは大体2時間弱という所だろう。
先程の体験を思い出しながら頭を整理していると、ここに来てようやく恐怖がスーッと込み上げてきて、私は急いで車を出した。
「もうこの場所には二度と来てはいけない」
そんな声が頭の中に浮かんだ。勿論、行くつもりなどは毛頭ない。
今思うと、意味の分からない現象を無作為に体験した。
謎の男性の声。猿のような金切り声と金縛り。そして瞼に張り付く無数の手。
それに駐車場をグルグルと回るバイクは一体何がしたかったのだろう。金縛りが解けたのがあの後だったから、もしかしたら私を助けてくれたのかもしれないが、流石にバイクで除霊するという話は聞いた事がない。
ここで後日談を書くが、それを体験した翌日は丸々半日目が覚めなかった。何かたくさんの夢を見ていた感じがするけど、正直よく覚えていない。そして、起きた後も暫くだるさが残り、食欲もなかった。
なんとなく危機感を感じた私は、事の顛末を多少霊感があるらしい母に話したら、「こういうのは気持ちの問題だから」と背中を何度か叩かれた。そのお陰か分からないけれど、今は体調も回復している。
最後に、瞼に張り付いた複数の手は人間の手だと書いたが、実は中には手の平に対して指が長く、少し歪な形の手も幾つかあったと記憶している。後になってインターネットで調べて確認したら、あの時見た歪な手とサルの手がとてもよく似ていて、鳥肌が立っている。
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