
体験場所:東京都足立区〇〇〇駅西口周辺のビジネスホテル
これは10年ほど前、私が都内の中小企業で営業として働いていた頃の話です。
その夜は、翌日の展示会の手伝いで遅くなり、終電を逃してしまいました。仕方なく会社の経費で泊れる範囲の安宿を探していると、足立区○○○駅の西口側に古いビジネスホテルを見つけました。
くすんだベージュ色の外観で、入口の自動ドアの開閉音がやけに大きく響くのが印象的でした。
フロントには50代くらいの男性がいて、無愛想というよりは、ずっと眠そうな顔をしていました。その男性から「3階の一番奥の部屋です」と言われて渡された鍵は、カードキーではなく、鍵穴に刺してガチャッと回す昔ながらのタイプのものでした。
カーペットが敷かれた廊下を歩いて部屋に向かう間も、空気が重たく感じます。換気が悪いのか、タバコとカビと古い香水が混じったような匂いがして、正直あまり気持ちのいい環境ではありませんでした。
部屋はごく普通のシングルタイプでした。ユニットバス付きで、ベッド、机、テレビ、小さな冷蔵庫が設置されていました。古くはありましたが、不潔ということはなく、「安いしこんなもんだろう」と納得して、シャワーを浴びて、すぐに寝ました。
問題は深夜に起こりました。
午前3時頃だったと思います。
突然ドアノブが「ガチャ……ガチャ……」と静かに回される音で目が覚めました。
夢かと思ってしばらく目を閉じたままでいると、どうやらそれが現実の音だと気が付きました。
部屋のドアノブを誰かが外側から回す音。
他の宿泊客が勘違いしてるのかな?と思って「部屋間違えてませんか?」と声を掛けようとした時、ドアノブの音が止まりました。
でも、廊下からは人が立ち去る足音が聞こえません。
自分の心音が聞こえるほどの静寂でした。
気になってベッドから起き上がり、ドアスコープから廊下を覗きましたが、ドアの前には誰もいませんでした。廊下の照明だけが点いていて、そこから人の気配だけが抜け落ちたような、不自然な空間に感じました。
そのまま布団に戻り、無理やり目を閉じました。
それだけでは終わりませんでした。
それから十数分後のことです。
今度はドアノブが、さっきよりもゆっくりと回されました。
「……ガ……チャ……」
明らかに様子をうかがうような動きでした。
ガタガタと強引にドアを開けようとするのではなく、、静かに、しかし確実にノブを下げようとする動き。
一度ならず二度までも、さすがにおかしいと思い、思い切ってドアへ向かいました。
「……誰ですか?間違ってますよ」
そう言った瞬間、ノブの動きがピタリと止まりました。
数秒の沈黙があり、次に聞こえたのは、小さな吐息のような音でした。
声でも咳でもなく、ただ空気の擦れるような呼吸音。
酔っ払い?それか寝ぼけた他の客だろうと思おうとしましたが、体だけは正直で、背中を冷たい汗が伝うのがはっきり分かりました。
その夜は結局、電気を点けたままで、ほとんど眠れませんでした。
翌朝、チェックアウトの時にフロントの男性にさりげなく聞いてみました。
「昨日の夜、廊下で物音がしませんでしたか?」
すると男性は一瞬だけ私の顔を見て、すぐに視線を落とすと、「ああ……たまに、ありますね」とだけ言いました。
「え?……誰かいたということですか?」と再び聞くと、フロントの男性は一度だけ首を横に振り、「部屋、間違えて泊まらせちゃったかもしれないですね」と、よく分からない返事をしました。それ以上、何を聞いても答えてくれませんでした。
後日、同僚にこの話をすると、「そのホテル、昔自殺があったって聞いたことがあるよ」と言われました。それが本当なのかどうかは調べていません。
正直、あの体験が何だったのか分かりません。
ただ、ドアノブは確かに誰かに回されていた、その感覚だけは今でもリアルに記憶に残っています。人だったのか、そうでなかったのか。今でもはっきりとは判断できないままです。

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