
体験場所:北海道H市
私は大学を卒業して以来、北海道で小学校の教員として働いています。
嬉しいことに担任まで持たせてもらい、忙しいながらも充実した毎日を送っていました。
私が不思議な体験をした当時、受け持っていた6年1組は、5年生の頃から引き続き担任を任されていたクラスでした。
子供たちは全員明るく個性豊かで、時折喧嘩はするけれど、みんな真っ直ぐで仲の良いクラスでした。
そんなクラスに、とある女の子がいました。
名前はNちゃんと言い、生まれつき方耳が聞こえず、もう片方の耳も聞こえが悪く、話し方も少し特徴のある子でした。
周りに溶け込むのを少し遠慮している雰囲気があり、クラスメートと会話するのを躊躇する様子もあったので、私は彼女といつも筆談でやりとりしていました。
授業はどうしても難しいですが、休み時間に改めて2人で復習したり、放課後に筆談で分からないところを教えたりしているうちに、徐々に彼女の方から筆談で話しかけてくれるようになり、日常のことを教えてくれたりもして、打ち解けることが出来たように思いました。
卒業までに彼女が自分の言葉で他のクラスメートとも心から打ち解けてくれたら、と、私は思っていました。
そんな頃、私は第二子を妊娠。
出産予定がちょうど子供たちの卒業の頃でしたが、どうしても子供たちを見送りたかった私は無理を言って、体調を見ながらギリギリまで働かせてもらうことにしました。
子供たちには、私のお腹に赤ちゃんがいることや、急にお休みしてしまうかもしれない事などを正直に伝えると、みんな喜んでくれて、生まれてくるのが楽しみだと言ってくれました。
それからは毎日、他の先生方に助けていただきながら、子供たちにも支えてもらいながら教壇に立ちました。
それでも卒業式まではもたず、遅い産休に入ることになった時のことでした。
子供たちと涙ながらにお別れをし、ここまで一緒に過ごせたことに感謝しつつ、子供たちが帰った教室で後片付けをしていると、Nちゃんがやってきて『今までありがとう』といった内容のお手紙をくれました。
そして、どもりながら、ゆっくりゆっくり、
「先生、産まれるよ、赤ちゃん、赤ちゃん、頑張れるよ」
と言ってくれました。
私は彼女の優しさが嬉しくて、堪らず号泣しました。
温かい気持ちのまま帰宅すると、その日の夜にまさかの陣痛がありました。
第二子ということもあり、出産はあっという間で、産休に入った同日に赤ちゃんが誕生しました。
しかし、赤ちゃんが無呼吸を繰り返し、NICUに入院。
私は1人病室で、自分のワガママでギリギリまで働いていたことが赤ちゃんの負担になってしまったのではないか、もっと安静にしていれば良かったのではないか、と、後悔で毎日泣いていました。
でもある時、Nちゃんが言ってくれた言葉を思い出しました。
「赤ちゃん、頑張れるよ」
それを機に、赤ちゃんだって生きようと頑張っているんだ、その生きようとする力を信じなくては!と、私は気持ちを切り替えることが出来ました。
我が子は1ヶ月半の入院生活の後、無事に退院。
今では無呼吸になることもなく、毎日元気にすくすくと育っています。
「先生、産まれるよ」
「赤ちゃん、頑張れるよ」
あの時Nちゃんが一生懸命に声にしてくれた言葉。
まるで全てが分かっていたかのような彼女の言葉を不思議に思いつつ、それでも、私が前を向けるように応援してくれた彼女の優しさを、いつまでも忘れずにいようと思います。
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