体験場所:京都府京都市 四条駅付近
これは、ある雨の夜に体験した出来事です。
当時、私は京都のIT企業でテスターとして働いていました。
その頃は仕事が忙しく、毎晩のように残業をして、ヘトヘトになって帰宅していました。
その日も事務所を出た時には22時を回っていたと思います。
季節は冬でしたが、雨が降っていたせいか、いつも以上に空気がひんやりと感じました。

私が働いていた事務所は徒歩5分の距離に地下鉄の駅があり、交通の便がいいところでした。
街中なので日中は大勢の人が通りを歩いているのですが、平日の夜も遅くなると人影はまばらです。
私の住むアパートは地下鉄で1駅の場所なので、事務所から直接アパートまで歩いても15分ほどで帰ることができました。
ホームで電車を待つ時間も惜しかった私は、その日はそのまま歩いて帰ることにしました。
通りでは車が水しぶきを上げて走っているし、傘をさした人がパラパラといて、駅に向かって歩いています。
静かな場所を歩きたかった私は、あえてひと気のない住宅街の方から帰ることにしました。
雨の中を歩くのは億劫でしたが、むくんだ足も少しは楽になるだろうと思い、濡れた路面をカツカツと歩きました。
アパートまであと半分くらいのところまで来た時、私は冷蔵庫の中が空っぽだったことを思い出しました。
住宅街を抜けると大通りにつながる道に出るのですが、その道沿いにちょうどコンビニがあります。
食欲はありませんでしたが、軽い晩ごはんと朝ごはん用のパンを買って帰ることにしました。
住宅街を抜け、ぼーっと光るコンビニの看板を頼りに歩いていた時です。
電柱の下に男の人が立っているのが視界に入りました。
その人はグレーの雨合羽を着ていて、両手をだらんとぶら下げたまま地面を見つめています。
年齢は40代くらいで、冷たい雨が降る中、身じろぎもせずにそこに佇んでいました。

雨合羽を着ていたので「警備員さんかな…?」とも思ったのですが、周囲に工事中の場所はないし、そもそも男性は通りに目を向けることなくひたすら地面を見つめています。
近づくに連れて私はだんだん気味が悪くなってきました。
(もしかしたら、誰か通りかかるのを待っている変質者かもしれない。)
そう思いました。
来た道を引き返そうか迷いましたが、男性の前を通り過ぎればすぐにコンビニです。それに今歩いて来た道はひと気も街灯も少なく、もし追いかけて来られたら逆に危険だと感じ、そのまま進むことにしました。
すれ違いざま傘の下から様子を窺うと、男性は手ぶらで特に武器のようなものも持っていないようでした。
全く荷物がないのも気味が悪かったけれど、私はとりあえず何も気にしていない素振りで男性の前を足早に通り過ぎました。
コンビニに入り店内から後ろを振り返りました。男性が追いかけて来る気配はありませんでした。
どういう目的であそこに立っているのかは分かりませんが、暴れているわけでも服を脱いでいるわけでもないので、「不審者がいる」とコンビニの店員さんに訴えるのは気が引けて止めました。
買い物しながら悩んだ末、私は店を出ると同時に電柱の方は振り返らずにダッシュでアパートまで帰ることにしました。
そのまま走って大通りまで行けば、たとえ追いかけられたとしても誰かに助けを求められるはずです。
仕事で疲れた身体は重かったのですが、私はコンビニを出ると同時に人通りの多い場所まで必死に走りました。
大通りに出てしばらく行ってから振り返ると、男性の姿はありませんでした。
何事も無くてよかったと、私は安心しながらアパートまでの残りの道を歩きました。
帰宅して数時間後、晩ごはんとシャワーを済ませた私は、ラグの上に横になってウトウトしていました。
ちゃんとベッドで寝ようと思うのに、起き上がるのが面倒でなかなか動けません。
せめて寝落ちする前にアラームだけはセットしておこうと、上半身を起こそうとした時です。
全身がビキッと石のように固まるのを感じました。
頭は起きているのに身体だけが眠ってしまったように指一本動かせません。
恐らく金縛りというものだと思うのですが、私はそれまでも疲れている時はよく経験していたので「ああ、またきたか」という程度のことなんですが…
ただ、その時の金縛りはいつもと違いました。
目も動かせないので瞼は閉じたままのはずです。それなのに、なぜかはっきりと映像が見えるんです。
それは、ラグの上で横になっている自分の姿を、枕元に立って見下ろしている映像でした。

幽体離脱というものなのでしょうか?
それまでの金縛りでは一度も経験したことがないものでした。
でも、ただ為す術なく自分の姿を見下ろすだけで、目をつむることも出来ませんし、何か抗うことも出来ません。感覚だけの存在。それに元に戻れるのかも分からない異様な状況に、さすがに恐怖心が膨らんでいきました。
(今回は何か違う…)
そう感じた時でした。
『ピンポーン』
玄関チャイムの音が部屋に響きました。
そのチャイムは来客があった際にアパートの共有玄関から鳴らすものです。
人が来る予定はありませんでしたし、だいだい真夜中のこんな時間に何の連絡もなく誰かが訪ねて来るはずもありません。
『ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン』
それなのにチャイムの音は、部屋に私がいることを知っているのか、何度もしつこく鳴り続けます。
怖くて耳を塞ぎたくても、目をつむりたくても、身体を持たない私にはそれができません。
それにチャイムの音はなぜか鳴る度にそのボリュームが徐々に大きくなっていきます。
『ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン』
何もできないまま混乱する私を他所に、チャイムの音があり得ないくらい大きなボリュームになった時、
「もうやめて!」

恐怖が限界に達した私は心の中でそう叫びました。
すると横たわった身体に意識が戻り、次の瞬間、『ドン!!』と私の上に何か大きなものが乗りました。
私は悲鳴をあげることもできず、そのまま気を失ってしまいました。
次に目が覚めた時には、もう夜が明けていました。
テレビも電気も点けっぱなしのまま、私は一人、部屋のラグの上に横たわっていました。
今思い出しても、あの体験が夢だったとは決して思えません。
自分が自分を見下ろす異様な状況、それに音や衝撃の生々しい感覚は、むしろ現実以上にリアルに感じました。
あの夜、何かが私を訪ねてアパートにやってきたことは確かだと思います。
あのしつこいインターホンや身体に受けた衝撃には、確実に悪意のようなものを感じたから…
あれから何度もあのコンビニの前を通りましたが、雨合羽の男の姿を見かけることは二度とありませんでした。
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