
体験場所:北海道 某病院
私はこれまでソーシャルワーカーとして数十年病院に勤め、今までたくさんの患者の人生を垣間見てきました。そんな中で、これは実際に私が目の当たりにした不思議な出来事です。
その日、施設で暮らされている80代の男性の方(仮にAさんとします)が病院へ来られました。
検査の結果、Aさんは肺炎を患らっていることが分かり、そのまま入院することになりました。
とは言え、医師の見立てではそれ程ひどいものではなく、入院治療すれば2週間くらいで改善し、また施設へ戻れるだろうとのことでした。
実際、呼吸音もそれほど悪くはありませんし、会話も問題なく出来ています。それに、非常に物腰が柔らかく穏やかな方で、すぐに病院の職員とも打ち解けていたことが印象的でした。
入院が決まると、Aさんには頼れる家族がいないらしく、施設の職員の方が変わりに入院準備をして来てくれたようでした。
午後一番で来院してから外来での検査を終え、ようやく病室に入れる頃には16時を回っていました。既に来院から4時間が経過。そこまで酷くはないとはいえ、ご高齢の肺炎患者です。疲労感も強く、検査や手続きの間も笑顔の中に時折苦悶の表情も見受けられました。
病衣に着替えベッドに横になると、ようやくAさんが安堵の表情を浮かべたのが分かりました。
手続きなどを無事に済ませた私も、一仕事終えてホッとして部署に戻ったのですが、するとすぐに先ほどの病棟から呼び出しが掛かったのです。
急いで病棟に戻ると、師長が困った顔で私を待っていました。
何事か確認すると、Aさんが多額の現金を持参していたのだと言います。
主治医が病室に顔を出した際、Aさんが医師に現金について相談したことで発覚したということです。
その額、現金50万円。
Aさんが肌身離さず持っていたセカンドバックの中に入れていたようで、施設職員もそのことは知らなかったということでした。
とりあえず、病室の床頭台にも鍵付きの貴重品入れが付いておりますが、そもそも現金50万円なんて金額を入れておくような場所ではありません。
仕方ないのでAさんには事務所の金庫で預かることを提案しました。
するとAさんから、事務所はどこにあって、どんな金庫に保管するのか聞かれました。
非常に大きな金庫で、金庫がある場所へ入るのも開けるのも、限られた人間しか出来ないということを伝えます。それに預かり証と呼ばれる書類を作成し、2週間後の退院まで厳重に保管することも約束しました。
するとようやくAさんも安心されたようで、現金をどうしようかとずっと悩んでいて、気が張り詰めていたと言います。
肺炎で体が辛い中、一緒に現金を確認した上で、証書にサインをしました。やはりサインをする手は震えていて、やっとの思いでサインを済ませました。
すると一仕事終えたAさんは、その日一番の笑顔でこう言ったのです。
「あぁ! 本当に安心したよ! ありがとう。手元にあると心配で、ずっと気になっていたんだ。よかった! よかった! 本当に安心した、ありがとうね」
その場にいた全員が思わず笑顔になり、そのまま散会となりました。
その30分後、Aさんは亡くなりました。
肺炎は重度のものではなく治療で改善する余地があったにも関わらず、突然あっけなく逝ってしまったのです。
私よりも経験豊富な師長も言葉が出ないようで、互いに顔を見合わせます。
すると、師長がぽつりと漏らしました。
「こういうこと、稀に起きるのよね」
まさに、病は気から。
本当に心に引っかかっていた何かが取れた時、一瞬この世への未練がなくなってしまうのかもしれない。
Aさんが最後に見せた、あの安堵の笑顔が今も忘れられません。
これが私が目の当たりにした、不思議な出来事です。
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