
体験場所:青森県 母方の実家
これは、私が六歳の頃に体験した話です。
当時、私たち家族は青森県にある母方の祖父母の家で暮らしていました。
もともと私たちは東京に住んでいたのですが、祖父が定年退職後に脳梗塞を患い、介護が必要になったため、母の実家へ移り住むことになったのです。
祖父には、歩行障害と言語障害がありました。
私がまだ幼かったこともあり、祖父と一緒に遊んだ記憶はほとんどありません。
私の記憶に残っている祖父は、いつもリビングに置かれたベッドの上にいました。
私が床におもちゃを広げて遊んでいると、祖父はベッドから、ただ静かにこちらを見ていました。
言葉を交わした記憶はありません。
それでも、祖父が私を見つめる目は、いつも優しかった。
幼い私にも、それだけは分かりました。
母は懸命に祖父の介護を続けていました。
しかし、その甲斐もなく、祖父は亡くなりました。
それから数日が過ぎた頃のことです。
葬儀なども終わり、家の中が少しずつ普段の生活に戻り始めていました。
当時は平成の初め頃。
場所も青森の田舎だったため、今とは生活の感覚もずいぶん違っていました。
母が祖母を病院へ連れて行く間、私と、三歳年上の姉だけで留守番をすることが時々ありました。
その日も、そうでした。
母と祖母が出かけ、家には私と姉しかいませんでした。
姉は二階の子ども部屋にいました。
私も一緒に二階にいたと思います。
特に何をするでもなく過ごしていると、
突然――
「ピンポーン」
玄関のチャイムが鳴りました。
私は少し驚きました。
今ならチャイムが鳴ること自体、何も珍しくありません。
けれど当時、あの辺りでは、近所の人が訪ねてきてもチャイムを鳴らすことは、ほとんどありませんでした。
玄関先まで来て、
「ごめんください」
と声をかける人が多かったのです。
だから、チャイムの音を聞いた私は、
「誰だろう?」
と思いました。
宅配便かもしれない。
あるいは、知らない人が訪ねてきたのかもしれない。
ただ、母からは何度も言われていました。
「大人がいない時は、絶対に玄関を開けちゃだめ」
だから、扉を開けるつもりはありませんでした。
それでも、誰が来たのか気になりました。
私は一人で階段を下りていきました。
東北地方にお住まいの方ならご存じかもしれませんが、青森では雪や寒さ対策のため、玄関扉が二重になっている家が多くあります。
祖父母の家の玄関も同様でした。外扉があり、内扉があります。
内扉にはにはモザイク状のガラス扉が使われていました。
内扉の前まで入っていれば、人影くらいは分かります。
ただし、顔や服装までは、はっきり見えません。
私は階段の途中から、玄関の方をのぞき込みました。
すると――いました。
内扉の向こうに、人が立っていました。
背の高い人でした。
モザイクガラス越しなので、顔は見えません。
服装も分かりません。
ただ、大人の男の人のように見えました。
私はその人影をじっと見ていました。
向こうからも、私の姿が見えていたかもしれません。
少なくとも、家の中に誰かいることくらいは分かったはずです。
ところが、その人は何も言いませんでした。
「すみません」とも、「宅配便です」とも言わない。
もう一度チャイムを鳴らすこともない。
ただ、扉の向こうに立っている。
じっと、立っているだけでした。
子どもながらに、だんだん怖くなってきました。
私は慌てて二階へ戻りました。
「お姉ちゃん、誰かいる」
そう言って、姉を呼びました。
姉は最初、面倒くさそうにしていましたが、私があまりに怖がるので、一緒に見に行ってくれることになりました。
二人で階段を下りました。
私は姉の後ろについて、さっきと同じ場所から玄関を見ました。
でも――
もう、誰もいませんでした。
「いないじゃん」
姉はそう言いました。
私は、帰ったんだと思いました。
でも、すぐに変だと気づきました。
祖父母の家の玄関は、外扉が特に古く、かなり重たいものでした。
しかも錆びついていたため、開け閉めすると、
ギィィ……
ガタン。
という大きな音がしました。
二階にいても分かるくらいの音です。
まして、私たちは玄関のすぐ近くにいました。
なのに――
何も聞こえなかった。
扉が開く音も、閉まる音も。
足音さえ、聞こえませんでした。
考えてみれば、入って来た時もそうでした。
私が玄関を覗いた時には、既にそこに人影がありました。
ただ、さっきまでそこにいたはずのその人影だけ、音もなく消えていたのです。
しばらくして、母と祖母が帰ってきました。
私はすぐに、さっきの出来事を母に話しました。
知らない人が来たこと。
チャイムを鳴らしたこと。
私が玄関まで見に行ったこと。
母は最初、
「大人がいない時に玄関へ行ったら危ないでしょう」
と、私を叱りました。
私は、
「でも、開けてないよ」
と言いながら、見た人のことを説明しました。
「男の人だったと思う」
そう言うと、母が聞きました。
「どんな人だったの?」
「分かんない。ガラスで見えなかったから」
「大きい人?小さい人?」
私は少し考えてから答えました。
「大きい人」
すると、母の表情が少し変わりました。
「どのくらい?」
私は母を玄関まで連れて行きました。
そして、さっき人影が見えていたモザイクガラスを指さしました。
「このくらい」
私は、人影の頭があった辺りを示しました。
それを見た母は、しばらく何も言いませんでした。
怒っていた表情が、少しずつ変わっていきました。
そして、ほんの少し嬉しそうな顔をして、こう言いました。
「……おじいちゃんだったのかもね」
私は驚きました。
「おじいちゃん?」
私の知っている祖父は、ずっとベッドの上にいた人です。
自分の足で立っている祖父など、想像したこともありませんでした。
すると母は教えてくれました。
その時、私は初めて知りました。
病気になる前の祖父は、随分と背の高い人だったそうです。
私が見た人影の高さは、生前の祖父の背丈と、よく似ていたそうです。
もちろん、本当に祖父だったのかどうかは分かりません。
知らない誰かが訪ねてきて、私たちが気づかないうちに帰っただけなのかもしれません。
幼い頃の記憶ですから、私が何かを勘違いしている可能性だってあります。
ただ、大人になってから、もう一つ知ったことがあります。
あの日は、まだ祖父の四十九日を終える前だったそうです。
それを知ってから、私は時々考えるようになりました。
もしかすると、あの日の人影は、本当に祖父だったのではないか。
亡くなる前は自分の足で歩くことすらできなかった祖父が、元気だった頃の姿で、もう一度、自分の家に帰ってきたのではないか。
そう考えると、不思議と怖くはありません。
むしろ、私たちの様子を見に来てくれたのなら、少し嬉しい気さえします。
ただ――
どうしても、一つだけ分からないことがあります。
もし、あの日玄関に立っていたのが、本当に祖父だったのなら。
どうして祖父は、自分の家なのに、玄関のチャイムを鳴らしたのでしょう。
中にも入らず、何も言わず、ただ扉の向こうに立っていただけ。
あれから長い年月が経ちました。
それでも私は、時々あのチャイムの音を思い出します。
「ピンポーン」
あの日、祖父は帰ってきたのか。
それとも――
玄関の向こうに立っていたのは、祖父ではない別の何かだったのか。
今となっては、確かめる方法はありません。

他にも「青森県の怖い話」複数ございます。
→ 青森県で体験した怖い話(実話)

コメント