体験場所:宮城県古川市
その頃、私は転職したばかりの会社に勤めながら、宮城県古川市にあるファミリータイプの物件を借りて一人暮らしをしていました。
忘れもしません。
あれは2010年の6月頃から始まりました。
梅雨の蒸し暑さで少し寝苦しい夜が続いていたせいで、私は寝不足で、毎日重たい体を引きずるようにして出勤していました。
ある深夜の事でした。
夜もすっかり更けた深夜のこと、突然リビングに置いてあったFAXが鳴ったのです。
当時、私は家に固定電話とFAXを置いていましたが、その番号は会社と実家にしか教えておりませんでした。
そのFAXから「ピー、ピロピロピロピロ……」という特有の電子音が聞こえ、何かを受信していることが分かりました。
「こんな深夜に、どこからだろう?」
訝しく思いながらも、私はベットから起きてリビングへ向かうと、到着した頃には既に音は鳴り止んでいました。
私は直ぐにFAXの用紙を確認してみました。
すると、変なんです。
印刷された形跡が全くないんです。
発信元を確かめてみても、着信があったはずの電話番号が表示されません。
(…夢でも見て寝ぼけてたのかなぁ?)
そう思って、私は再びベッドに戻ることにしました。
翌朝、いつもの時間に目覚ましが鳴り、朝一番でもう一度FAXを確認してみましたが、やっぱり用紙には何も印刷されてなく、いつも通りFAXはそこで静かに座っています。
(昨晩の着信は何だったんだろう…?)
そう思って、出社後、会社で昨夜私に何か送信したかを聞いてみましたが、一番下っ端の私になんか緊急で何かを送るような用もなく、案の定、会社からは何もFAXは送られていないようでした。
それならと思い、私のFAX番号を把握しているもう一つの存在である実家に連絡してみましたが「は?FAX?知らないよ」と言われるだけでした。
(間違い電話だったの、かな…?)
そう思うことにしたのですが、それから10日ほどが経った頃でした。
先日のFAXのことも半分忘れかけていたその日の深夜、
「ピー、ピロピロピロピロ……」
と、再びあの電子音が鳴り響き、私はハッと目が覚めました。
(またこんな夜中に・・・)
そう思うと、私も何だか少し怖くなって、しばらく布団をかぶったまま耳を塞いでいました。
すると直ぐに音は止み、私は静かに布団から起き上がると、ゆっくりと音を立てないようにリビングに向かいました。
FAX用紙にはやっぱり何も印刷されていないし、受信した電話番号も分かりませんでした。
(でも、やっぱり夢じゃないんだ…)
そう確信すると同時に、合理的に考えるとFAXの故障を疑う他に可能性はないと、私はそう結論付けたのです。
ですが、実際に使用してみると、送受信は滞りなく行えますし、電話機能も問題なく使えます。
故障だと断定も出来ず、買い替える決心もつかないまま、季節だけがズルズルと過ぎ去っていきました。
その間、FAXは秋と冬に1回ずつ、また深夜に鳴ることがありました。
やがて正月を迎えた頃、私は仕事で体調を崩したのを切欠に、実家の近くに引っ越すことにしました。
不動産屋さんとのやり取りには、家の電話とFAXの他、携帯電話も使用していました。
ある日、平日に有休を使って大型スーパーへ買い出しにいった時のことです。
まさに車を出発させたタイミングで携帯電話に着信がありました。
不動産屋さんからでした。
一度車を停めてから掛け直すと、話し中で繋がりません。
仕方ないので後でまた掛け直そうと、再び車を走らせスーパーへ向かう途中、ガソリンスタンドに立ち寄り愛車に満タンのガソリンを補給しました。
大型スーパーの駐車場に到着し、エンジンを止め、車内で携帯電話を確かめると、再び不動産屋さんから着信があったことを知りました。
でも、その番号はなぜか、不動産屋さんのFAX番号からでした。
(090で始まる携帯番号に、FAXを発信してしまうなんてことある?)
何となく腑に落ちず、少しの間考え込んでいると、再び着信がありました。
携帯電話の画面には、またしても不動産屋さんのFAX番号が表示されていました。
「…え?何これ?」
と驚きながらも、一応通話ボタンを押してみると、やっぱりFAX送受信の電子音が聞こえてくるだけです。
(不動産屋さんのFAXが壊れているのか?それとも誰かのいたずらかな?)
そんな風に思いながら、一度通話を切り、不動産屋さんに折り返し確認の電話を入れようとした時でした。
とてつもなく大きな揺れを感じました。
2011年3月11日14:46、東日本大震災でした。
初めのうちは車内で耐えていましたが、波打つコンクリートに車体がひっくり返されそうな恐怖を感じ、慌てて車外へ出ました。ですが、あまりの揺れに立っていることが出来ず、コンクリートに這いつくばることしか出来ません。
ギアをパーキングに入れたはずの目の前の車が、今にも動き出しそうなほどの大きな揺れです。
ごうごうと地響きが轟き、そこら中の電信柱がガチャンガチャンと大きな音を立てながら畝っています。
すると、目の前の大型スーパーの中から大勢の人が悲鳴を上げて駆け出して来ました。中では品物や棚などの設備がひっくり返っているのでしょう。振動と共に店内からは滅茶苦茶な音が聞こえてきました。
やがて、ようやく始めの揺れが収まりました。
私は呆然としたまま、目の前の建物を見ると、屋根はひしゃげて柱が曲がり、ガラスが散乱した無残な姿のスーパーがありました。
悪夢のような光景でした。
真っ白になった頭の中でふと思ったのは、もしさっきの携帯電話でのやり取りが無ければ、私は今、目の前にある無残な惨状の建物の中にいたはず。
そう思うと、ゾッとして、背筋の凍る思いがしました。
咄嗟に私は電話を掛けました。
奇跡的に実家の家族と、当時お付き合いしていた遠方の彼にそれぞれ一度だけ通じることが出来ました。
それ以降、停電のため携帯電話は使えなくなりました。
恐る恐るマンションに戻ると、マンションそのものが基礎から傾き斜めになっており、外に止めてあった多くの車が液状化のためタイヤがコンクリートに埋まっていました。
部屋に入ると、室内の全てのものが散乱していて、トイレットペーパーさえホルダーごと抜け落ち転がっていました。
その後、余震が続き、傾いたマンションで過ごすことは不可能と判断した私は、実家に避難することにしました。
普段なら40分で帰れる道のりでしたが、不測の事態に悪天候が重なり、もの凄い渋滞の中を4時間かけて帰りました。この時ばかりは直前にガソリンを満タンにしておいたことを神様に感謝しました。
春になり、無事に再び一人暮らしを始めましたが、地震のトラウマで元の職場に戻る気にはなれず、私はまた転職をしました。
地震で部屋にあった多くのものは壊れてしまいましたが、あのFAXはどうやら無事だったようで、そのまま使い続けましたが、それから深夜に何かを受信することはありませんでした。
ある程度落ち着いた頃、あの地震直前、携帯電話に受け取ったFAXの着信について、私は不動産屋に尋ねました。
すると、「その日は杜若萌さん(私)には、一度も連絡していませんよ。」と言われました。
あの時期の、FAXにまつわる一連の不可思議な出来事。
そこに私を守ってくれる何か意志のようなものを感じ、私は心の中で感謝しました。
あれから11年。
私は今でも『14:35』と印字されたガソリンスタンドのレシートと、命を救ってくれた携帯電話を、大切に保管しています。
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