【怖い話|実話】短編「音の記憶」不思議怪談(千葉県)

【怖い話】不思議実話|短編「音の記憶」千葉県の恐怖怪談
投稿者:幻中六花 さん(40歳/女性/校正士)
体験場所:千葉県

高校時代、私は地元北海道の学校で吹奏楽部に所属し、サックスを担当していました。

当時、周りの友人が次々と受験戦争に臨んでいく中、自分に甘い私はというと、人と競争することを早々に諦め、体験入学に参加するだけでほぼ合格が確定する音楽の専門学校に進学することを決めていました。

部活の引退後は、専門学校に入学して上京するまでの間、私は街で有名なサックス講師に従事し、テクニックを磨いていました。

先生は、私の両親より少し年上の男性でした。

有名アーティストのバックバンドでも演奏したりしている人なのに、そんなことを決して鼻に掛けることもなく、音楽のこと以外でも何でも相談できる優しく頼りになる人でした。

自分の生徒をよく褒め、発表会なんかでも頃合いを見計らって生徒をステージに立たせてくれる、そんな素晴らしい人柄であったため、誰からも好かれ、尊敬され、先生の周りにはいつも沢山の人がいました。

少し時間を進めますが、私は専門学校へ入学して上京後、自分のわがままで専門学校を辞めて、地元に都落ちしました。

そうして再び北海道に戻った頃、先生は変わらずサックス教室で楽器を教えていましたが、他にもジャズバーをオープンし、夜はそこのマスターとして働いていました。

基本的には先生が作ってくれるお酒を飲みながら、店内に流れるジャズを楽しむお店なのですが、演奏したい人がいれば自由に演奏させてくれるという、先生の人の良さで成り立っているお店といっても過言ではありませんでした。

私はというと、その頃はアルバイトをしながら夜はアコースティックギターでストリートライブをしたり、『自分が楽しければいいや』というような生き方をしていました。

北海道の冬、夜のストリートライブはかなり体に堪えます。外の気温はマイナス10度。地元の人でも長時間の外出は避けたくなる寒さです。それでも私が路上で歌うのは、ただただ楽しかったから。

そんな自分勝手な生活を送る私にも、先生は歌う場所を提供してくれたり、「寒くなったら店に来い。コーヒーくらいタダで飲ませてやる」と言ってくれたり、必要な時は駐車場も貸してくれました。
そこまでしてもらえる程、私は先生の元でサックスを頑張っていたわけではありません。本当に人がいいのです。

ですがそれから数年後、私はまた自分のわがままで、今度は千葉に行ってしまいました。

それ以来、先生ともめっきり会う機会がなくなりました。
連絡するといっても、SNSで誕生日にお互いお祝いの言葉を贈るくらいで、ほとんど顔を見ることもなくなりました。

それからあっという間に15年が経った頃、私は音楽とは何の関係もない仕事に就いていました。
書かれた文字の間違いを見つける、いわゆる『校閲』という仕事ですが、それはそれで誇りを持って働いていました。

そんなある日のことです。

紙とペンを相棒に、いつものように机に向かい仕事をしていた時、ふと、高校3年生の頃、先生の下でサックス発表会に参加した時の映像が、突然私の頭の中に浮かんできました。

その映像とは、当時私がステージに立って演奏しているところを、客席から実際に撮影したホームビデオのものでした。

なぜそんな懐かしい映像が突然頭の中で再生されたのかは分かりません。ただ、私は知らず知らずその曲を口ずさんでいて、その軽快なリズムでペンを走らせていました。

時刻はちょうどお昼の12時くらい。
当時の曲をリフレインしていたのが効果を発揮したのか、私は驚くほど仕事に集中していました。

「やば!お昼ご飯食べなきゃ!」

気が付いた時には大分時間が経過していて、目の前の仕事をキリのいいところで切り上げると、私は急いでランチへと向かいました。

一度思い浮かんだ音楽が、一日中あたまの中を流れ続けることはよくありますが、正にその音楽もそうでした。お昼を食べ終わっても、私の頭の中はあの時の懐かしい曲でいっぱいでした。そのおかげで午後の作業もとても集中でき、その日はだいぶ仕事がはかどりました。

その後、意気揚々と帰路に付き、家に帰って晩ご飯を食べている時のことでした。

何気なくSNSを開くと、沢山の投稿の先頭に、先生の投稿がありました。

「あまりSNSを更新することがない先生が、珍しいな…」と思いながら、私はその投稿を読みました。

そして私は気が付いたのです。
その投稿は、先生の息子さんが、先生のアカウントを使って投稿したものだと。

『本日お昼頃、病気療養中だった父が、永眠いたしましたことをお知らせ致します。』

「…え…?先生が…亡くなった……?」

突然の知らせに私は自分の目を疑いました。
次に今目にしている文章を疑い、他の人は一体何をリプライしているのか漁り見ました。

すると、先生を慕っていた多くの人が悲しみの声を上げていました。その悲痛は文章からも伝わってくるものばかりでした。

「私は…知らなかった。先生が病気だったことなんて…知らなかった」

ショックでした。

先生が亡くなられた悲しみもそうですが、あれだけお世話になっておきながら、どうしてこんなにも長い間、先生に会いに行かなかったのか、薄情な自分に怒りが込み上げました。

あの日、突然頭の中で再生された発表会の映像。
もしかしたらあれは、先生の魂が最後に私に見せてくれたものなのでしょうか…
頭の中に映像が再生された時刻は、正に先生が息を引き取ったのと同じお昼のこと。

先生が私のことを覚えてくれていて、気にかけてくれていて、最後に挨拶に来てくれたのかと思えば思うほど、私は最後まで先生に顔を見せることもなく、好き勝手やっていたんだなと、自分が悲しくなりました。

私の他にも沢山の教え子を持っていた先生が、私のところにも来てくれたことに、「ありがとうございます」と言いたいけれど、もう伝えることもできません。

先生、私は元気です。
今もまだ、先生から習ったサックスを吹いていますよ。

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