体験場所:岩手県の某旅館

小学生の頃、実際に体験した話です。
私の家は決して裕福ではありませんでしたが、年に一度、両親と一緒に家族3人で旅行に出掛けるのが恒例でした。
寝食もままならない程いつも忙しくしている父が、仕事の合間を縫って作ってくれる家族の時間を、私は毎年楽しみにしていたんです。
その年も、家族で旅行先を話し合いながら雑誌をぱらぱらと捲っていると、ふと小さな旅館の情報が目に留まりました。
『座敷わらしに会える』と謳っていたその旅館は、岩手の山奥にある古い宿でした。
当時、テレビの心霊番組などで、岩手には座敷わらしという子供の妖怪が出る旅館がいくつかあると言われ、ちょっとしたブームになっていました。
『もし座敷わらしに会えたら幸運を授かる』とも言われており、当時テレビの影響を受けやすいミーハー体質だった私は「ここに泊まりたい!」と両親に提案したんです。
比較的安価だったこともあったのか、両親も「ご利益にあやかろう」と、意外にも満場一致で件の旅館に泊まりに行くことになったのです。
「見た人には幸運が訪れ、その家をお金持ちにしてくれる。座敷わらしはそんな良い妖怪なのだ」
と、その時の私はそう思っていました…。
旅行当日、岩手県までは車で4時間弱の道程です。
普段自分が住んでいる街から、自然がれる田園へとゆっくりと変わっていく車外の風景は、子どもの私でも見ていて飽きることがありませんでした。
それは『座敷わらしが出る旅館』に向かっていることが嬉しかったせいもあったのかもしれません。
父が運転する車中から、外の景色をニコニコ眺める私の気持ちは、座敷わらしに会えるという怖いもの見たさとワクワクで溢れかえっていたんです。
長い時間車を走らせ、ようやく辿り着いた旅館は、周りにはコンビニどころか民家一つさえない山奥にありました。
人里から離れ、木々に囲まれぽつんと佇むその古びた宿は、建物の外観といえどもゾッとするものがありました。
『座敷わらしが出る』という話も頷けるような、如何にもなロケーションです。
宿泊の受付をすませると、宿の奥にある広い部屋に通されました。
そこは客間として使われていたようなひらけた部屋で、その一角に設けられた床の間の上には、ぬいぐるみやボールなど、様々なおもちゃで埋め尽くされていました。
それは全国各地から、座敷わらしへのプレゼントとして贈られてきたものなのだそうです。
それを見ると、否が応にも私の座敷わらしへの期待はどんどん膨れ上がっていきました。
その旅館の宿泊は1日1組限定で、食事は付いていませんでした。
受付をしてくれた管理人も、夜には離れの建物に帰るそうで、私達家族はその大きな宿に取り残されるような形となりました。
ただでさえ時間と費用を捻出した旅行ですから、贅沢は出来ません。食事は道中のスーパーで買った惣菜を部屋で頂き、その日は早めに床に就くことになりました。
座敷わらしに会えることを心待ちにしていた私は、もう少し起きていたかったのですが、車での長旅でやっぱり疲れていたのか、布団に入るとすぐに眠りに就いたんです。
その深夜のことでした。
正確な時間は分かりません。
私は廊下から聞こえてくる気味の悪い音で目を覚ましました。
『ぴたん…ぴたん…』
と、人が裸足で歩くような音が聞こえてきます。
(座敷わらしが…来てくれた…?)
そう思って私は一気に目が覚めました。
頭まで布団に潜りながら、その足音に耳を澄ましていると、それはちょうど私達の部屋の前で止まりました。
部屋の襖がゆっくりと開けられ、それが中に入ってくるのが分かります。
すると、私の感情にある変化が生まれたんです。
(あれ…?…なんか…怖い…)
どこか楽しみにしていた気持ちは一転、その瞬間から私は恐怖心で一杯になり、震えが止まらなくなっていました。
畳を擦るような音を立てて歩くそれが、寝ている私たちの方にゆっくりと近付いて来るのが耳で分かります。
音の主は、私の隣で寝ている父の前で足を止め、どうやら父の枕元でなにかごそごそし始めたんです。
どうしても気になった私は、そっと目を開け、恐る恐る布団の隙間から父の方を覗き見たんです。
そこには、座敷わらしのイメージとは全く違う、痩せっぽっちの老人の姿がありました。
背格好こそ子どものようでしたが、服もなにも一切身につけていないそれは、顔からこぼれ落ちつつある大きな目玉でジッと父を見つめ、異様に細長い手を使って一心に父の頭を枕ごとゆすっていたのです。
その光景のあまりの不気味さに、これは悪夢だと自分に言い聞かせ、私はすぐに目をつむって瞼の裏を睨み付けるほど無理やり、意識を失うように再び眠りにつきました。
旅行から帰ってすぐ、父は死にました。
医師の診断では、過労からの脳内出血が死因だというものでした。
ですがそんなはずありません。
座敷わらしとは似ても似つかない、あの小さく痩せた老人…
寝ている父の頭をゆすっていたあの邪悪な何かが父を殺したんです。
絶対にそうだと私は確信しています。
あれから長い時が経ちますが、細長い腕が一心不乱に父の頭を枕ごとゆすっているあの奇妙な光景が、今でも目に焼きついて離れません。
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