
体験場所:富山県富山市呉羽山の展望台近くの旧道と呉羽トンネル周辺
あれは数年前、夏の終わりの頃のことです。
当時、僕は富山市の中心部にある会社で働いていました。
ときどき残業で遅くなる日があって、そんな夜は同じ部署のA先輩も残っていたら、車で家まで送るのが習慣になっていました。
その日も残業で遅くなり、会社を出る頃には23時を回っていました。
A先輩を助手席に乗せ、富山駅西側にある先輩のアパートへ向かう途中、たまには夜景でも見て帰ろうかと、軽いノリで呉羽山の展望台へ寄ることになりました。
展望台に着くと、平日の深夜ということもあってか、他に人は全くいませんでした。静かな展望台で富山平野の夜景を眼下に、10分ほど涼しい風に当たりながら雑談して、私たちは帰路につきました。
帰りは旧道を下って呉羽トンネル方面へ向かうことにしました。この旧道、昼はなんてことのない山道ですが、夜は一気に表情が変わります。街灯の届かない斜面や古いガードレール、カーブミラーがぽつんと浮いて見えるのが気味悪く、正直あまり好きではありません。
問題の場所は、旧道からトンネル手前に出る広めのカーブでした。
そこに差し掛かった時、助手席の先輩が急に黙り込み、シートベルトをぎゅっと握りしめました。
「どうしました?」
そう声をかけると、先輩は窓の外を見たまま小さく言いました。
「……後ろの人、知り合い?」
最初は冗談だと思いました。
ルームミラーを覗くと、後部座席のヘッドレストと僕のエコバッグしか映っていません。
「誰もいませんよ」
そう返したのに、先輩は震える声で続けました。
「いや、ずっと座ってるじゃん。下向いてるけど」
冗談にしては顔が真剣すぎる。
それにその時、僕自身、振り返ることができませんでした。
ジッと見られているような気配を背中に感じ、振り返った瞬間“何か”と目が合う気がしたからです。
でもそんなはずない。ルームミラーには何も映ってないし。仕方なく僕は一度車を停めてスマホを取り出すと、振り返って後部座席をライトで照らしました。
シートの端から端まで、布の質感までくっきりと明るい光が照らしだしますが、やはり誰もいません。
でも、ライトを消した瞬間でした。
車内の空気が一段重くなったように感じ、エアコンの冷風が急に生ぬるくなった気がしました。
それから先、車が妙に前へ進まない感覚がありました。アクセルを踏んでも速度が上がりません。それにさっきから同じカーブを何度も走っているような気がします。ナビを見ると、自車のアイコンが同じ場所を行ったり来たりしていて、ハンドルを握る手に嫌な汗が湧いてきます。
「同じ標識。さっきも通りましたよね……?」
急に敬語を使い出したA先輩の声は、ほぼ囁きでした。
同じ違和感を覚えていた僕は、「一回停めます」と言って、ハザードスイッチを押しました。その瞬間、ナビ画面が急に真っ暗になって再起動が始まったかと思うと、立ち上がったナビ画面にはトンネル手前の分岐までワープしたかのように自車が戻っていました。
車を路肩に停め、深呼吸してから後部座席を再確認すると、やはり誰もいません。
ただ、後ろのドアガラスに、縦にスッと水滴の跡のようなものが付いていました。雨など降っていませんし、いつ付いたものなのか分かりません。触ってみると乾いています。ドアにもたれて額を押し当てたような位置でした。
「降りるの、トンネル抜けてからにしません?」
と、先輩の声は本気でした。
その言い方が怖かったので、僕も素直に従い、そのまま呉羽トンネルを抜けて国道に出ました。
トンネルを抜けた瞬間、社内の空気が軽くなったような感覚を今でも覚えています。
「あれ、なんだったんですかね?」
先輩をアパートまで送り届ける途中そう聞くと、
「最初は普通に“誰か乗ってる”と思ってたんですよ、後部座席に。白っぽい服で、前かがみで」
「顔、少しだけ見えたけど……なんか、目が合う感じじゃなかったです」
そう言ったあと、先輩は沈黙しました。
後日、地元の友人にこの話をすると、あの辺りでは「ぐるぐると同じ場所を走らされる」という噂が昔からあると聞きました。
ただ僕は幽霊が出たと断言する気はありません。ナビがバグっただけかもしれないし、残業続きで僕も先輩も疲れていたのかもしれません。
それでも──あの夜以来、呉羽山の旧道を夜ひとりで通ることだけは、どうしてもできなくなりました。

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