体験場所:埼玉県A市 線路沿いの神社
あれは、私がまだ20代後半だった時の出来事です。
当時、私は埼玉県A市にあるアパートで一人暮らしをしていました。
当時の私はダイエットを目的に、毎晩仕事が終わってから1時間程アパートの周辺をジョギングしていました。
元々走るのが嫌いな私は、もし一日でもサボってしまうと、そのまま怠け続けて辞めてしまうのではないかと情けない心配をしていたため、雨の日も、帰りが遅くなった日も、一日と欠かさずジョギングを継続していました。
アパートの周辺は閑静な住宅街で、車は多くありません。
また、アパートの近くには線路が走っていて、その横を道路が並走していました。私は街灯もあって走りやすい、その線路沿いの一本道をジョギングコースとして使っていたんです。
毎日毎日、決まって見る夜の線路風景。
あの日もいつもと同じように、そんな景色を眺めながら走っていたんです。
時間は23時近く。
その日は残業で帰りが遅くなり、走り始めるのもだいぶ遅い時間になってしまいました。
道路沿いを並走する線路には、所々に踏切があり、車も渡れる大きな踏切もあれば、自転車と徒歩の人しか渡れないような小さな踏切まで様々あります。
毎日そんな道路を走っていると、気分によっては踏切を渡り、向こう側の道を走ることも時々ありました。
その日も、小さな踏切を渡って逆側の道路を走っていました。
もちろん、帰りも同じ踏切を渡って、いつもの道側へ戻ろうとしていた時、踏切の手前まで来たところで、ちょうど電車がやって来て、遮断機がゆっくりと降りてきました。
私は降り切った遮断機の前で立ち止まり、軽いストレッチをしながら電車が通過するのを待ちました。
踏切に設置された青い街灯の下、カンカンカンという甲高い音を聞きながら、ふと辺りを見回すと、線路を挟んでこっち側には小さな神社があり、踏切を渡った先には小さな墓地が見えます。
どちらも木が鬱蒼と茂っていて、改めて見ると、夜は少し気味悪く見えるかもしれません。
ですが、私はあまり心霊的なことに関心もありませんでしたし、なにせ毎日見ている風景なので、取り立てて恐怖心が湧くこもありませんでした。
線路の向こうの墓地の辺りをぼんやり眺めながら、熱心にふくらはぎの筋を伸ばしていると、目の前を下り電車がごうっと轟音を響かせ走り抜け、風が勢いよく私の体を吹き抜けていきました。
その瞬間、私の背筋を得体の知れない寒気が駆け降りました。
電車の突風とは別の冷たさです。
ジョギング中の熱した体は一気に冷え、汗が冷や汗になって背中をつたっています。
対象が何かも分からないまま、私の中に『怖い』という感情だけが湧き上がりました。
電車が通り過ぎ遮断機が上がった後も、私はその場で硬直していました。
『神社を振り向いてはいけない…』
突如そんな感情が私の心に込み上げてきました。
なぜかは分かりません。
私の右側にある神社、特にその鬱蒼と茂った林の中を『絶対に覗き見てはいけない』。
そんな思いに駆られた瞬間、私はなりふり構わず踏切を渡り、墓の前を駆け抜け猛ダッシュで自宅のアパートに帰りました。
部屋に戻ってからも、先程湧き上がった感情が頭を離れません。
どうして『神社の茂みを見てはいけない』と感じたのか、自分でも全く分からないまま、とにかく今は冷え切った体を温めたくて、直ぐにシャワーを浴びて布団に潜り込みました。
内側から冷え切ってしまったのか、なかなか温まらない体をさすっていると、ジョギングの疲れもあってか、知らず知らずの内に私は眠ることが出来たようでした。
翌朝、朝日のおかげか気持ちよく目が覚めた私は、昨夜のことがまるで遠い昔のことのように感じられました。
あの感情は何かの勘違いだったのだろうと思い直し、私はいつも通り会社へ向かいました。
小さな中小企業に勤めていた私は、隣駅にある会社まで徒歩通勤していました。
会社に到着し、更衣室に入ると、地元の主婦の方々で構成されるパートタイマーの事務員さん達が、集まって何か話し込んでいました。
(いつもなら、さっさと着替えて直ぐに持ち場に移動するのに、珍しいな…)と思いながら、私も着替え始めると、その事務員さんの中の一人が私に話し掛けてきました。
「ねえねえ、たまもちゃん(私)、知ってる?隣の駅の近くに小さな踏切があるじゃない?あの墓地と神社のところにある、あの踏切…」
(昨日私が渡った踏切のことだな…)と思っていると、事務員さんは声を潜めてこう言いました。
「昨日の夜、あそこの踏切の近くの神社、あそこで首吊って自殺した人がいたんだって。今朝早く発見されて大騒ぎだったのよ」
昨夜感じた悪寒と恐怖が、再び私の体の中で鮮明に甦るのが分かりました。
ドクドクと心臓の鼓動が高まり、呼吸も少し荒くなっていたと思います。
知りたくないと思いながらも、私はその事務員さんから詳しい話を聞いてしまいました。
それによると、首を吊って自殺した人はホームレスの男性の方だったそうです。
神社に鬱蒼と茂る木々の一本に縄を掛け、首を括って亡くなったそうなのです。
『神社を振り向いてはいけない…』
私があの時感じた恐怖感って、つまりはその男性が発していた苦しみ、もしくはそれから目を背ける為の警告だったのでしょうか?
もし、あの時私が振り返っていたら、その男性は助かっていたのでしょうか?
それとも、あの時すでに男性は亡くなっていて、その漂う無念を私が感じ取ってしまったのでしょうか?
そもそも、私の感じた悪寒は事件とは全くの無関係なのか?
今となっては、その全てが知りようもありません。
しかし、私は知らないままで良かったと思うのです。
もしその正体を知ってしまったら、もしあの時まだ男性が生きていたとしたら、私は男性を見殺しにしたことになってしまうのだから。
最後を迎えようとした瞬間、突然抗いようのない恐怖に襲われ、視界の奥に見えた人間に最後の希望を託す。
「助けてくれ、気づいてくれ…」
それに気付いた女が、関わりたくないと逃げ去った時、その背中を見て男性は何を感じるのか…
ちょっともう、思い出したくない記憶です…
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