
体験場所:長野県〇〇町
私の高校時代からの友人に中村(仮名)という男がいます。彼は歴史好きで、特に日本の古い建築物に興味を持っています。
昨年の秋、彼が長野県K郡〇〇町にある古民家に宿泊した時に体験した奇妙な出来事を、先日の飲み会で聞かせてくれました。
中村は休暇を利用して、紅葉の季節の〇〇町を訪れ、観光客向けに改装された古民家の宿に一人で泊まることにしたそうです。
その宿は築150年以上。趣のある佇まいで、廊下は畳敷き、部屋と部屋は全て襖(ふすま)で仕切られ、まさに日本の古民家といった造りだったそうです。
その宿に到着したのは夕方、もう日が傾き始めたころでしたが、それでも女将さんは親切に館内を案内してくれて、そのあとで中村は夕食を個室で頂きました。料理も美味しくて、地酒も進み、すっかりリラックスしたそう。
食後は部屋に戻って温泉に浸かり、布団に横になった頃には時計の針は夜の10時を過ぎていました。
寝る前に少し本でも読もうとしていたところ、どこからともなく「カサカサ」という音が聞こえてきました。
「虫かな?」最初はそう思いましたが、秋も深まった時期に、部屋の中にそんな大きな音を立てる虫がいるとも思えない。中村は音のする方へ耳を澄ませると、音は部屋の奥、隣室との仕切りになっている襖の向こうから聞こえてくるようでした。
女将からは、その部屋は使われていないと説明を受けていたはず。好奇心から、音の正体を確かめようと、布団から四つん這いのまま襖に近付いてみると、やはり「カサカサ」という音が襖の向こうから聞こえます。
まるで誰かが畳の上を爪先立ちで歩いているような、そんな音だったと中村は言います。
そのまま音に近付き、襖の前で立ち上がるや否や、音は止みました。
不思議に思って、中村は少しだけ襖を開けてみることにしたそうです。
そっと襖を開けて、隙間から中を覗いてみると、部屋の中は真っ暗で、何も見えないのですが、なんとなく誰かがいる気配を感じたと中村は言います。
スマホを取り出し、部屋の中を照らしてみると、そこは畳敷きの空き部屋で、やはり誰の姿も見当たりません。
ほっとして、そっと襖を閉じて、再び布団に戻りました。
しかし、布団に横になって10分ほど経った頃、再び「カサカサ」という音が聞こえてきました。
それに今度は、音はより自分に近く、隣室の襖のすぐ目の前で何かが動いているような感じがします。
正直、怖くなってきたけれど、何か説明のつくものであって欲しいという気持ちもあって、中村は布団から立ち上がり、もう一度、襖に近づいていきました。
すると中村が部屋の真ん中まで来た時でした。
突然、襖がゆっくりと開き始めました。
誰かが向こう側から開けているようなのです。
恐怖で足が動かなくなって立ち止まっていると、襖が10センチほど開いた時、その隙間から何かが見えた気がしました。
人の指先。
異様に長くて青白い指先が、襖の端にかかっていたと中村は言います。
中村はそこで勇気を振り絞り、大きな声で「誰かいますか?」と、襖の向こう側に尋ねました。
すると、襖はピタリと動きを止め、その指のようなものも引っ込んだのです。
とにかく怖くて、すぐに宿の人を呼ぼうとして、部屋を出て廊下に出た時、もう一度部屋を振り返ってみると、襖はまた完全に閉まっていました。
フロントにすっ飛んで行って状況を説明したけども、女将さんは不思議そうな顔で中村を見て、「あの部屋は使っていないはずです」と言うだけ。
それでも半ば無理やり宿の人を連れて部屋に戻り、例の襖を開けてみたそうなのですが、やはりそこには誰もおらず、女将からは「古い建物なので、木材の収縮で音がすることもありますよ」と諭されたそう。
その夜は別の部屋に移してもらったのですが、女将は特に動揺した様子もなく、むしろ慣れた感じの対応だったとのこと。
翌朝、チェックアウト時に、他のスタッフと話す機会があり、宿について聞いてみたところ、少し奇妙な話を聞いたそうなのです。
その建物には、昔そこに住んでいたある女性の謂れのようなものがあるそうで、その女性は生前、病気を患って手が変形してしまったらしく、その手がとても長かったと言い伝えられてるらしい。
中村はその後、ネットで〇〇町の歴史を調べてみたそうなのですが、そのような伝説についての情報は特に見つけることはできなかったそうです。
論理的に考えれば、音は古い家特有の家鳴りだったかもしれないし、半分眠りかけていた自分の幻聴だったのかもしれない。ただ、襖の隙間に見えた、あの青白く長い人の指だけは、今でも鮮明に覚えていると中村は言います。
不思議なのは、大いに恐怖を感じたはずなのに、翌朝からはなぜか妙に心が軽く、まるで何かから解放されたような、そんな感覚があったと、本人も不思議そうに語っていました。
もしかしたら、あの長い指の主は、自分に何かを伝えようとしていたのかもしれないし、それとも単に自分の存在を確認したかっただけなのかもしれない。そう言った後で、中村は最後に、また機会があればあの宿に泊まってみたいと付け加え、それで今度もし、あの襖が開いたなら、怖がらずに向こう側にいる誰かと会話してみたいそうなのです。
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