
体験場所:新潟県M市の塾
これは私がまだ学生だった頃に体験した話です。
高校時代、私は隣町の新潟県M市にある塾に通っていました。
その塾は最寄り駅から徒歩3分と近く、また私の母の職場の目の前という便利な場所にありました。
建物は古く、築40年は越していたと思います。
三階建ての赤茶けた外壁は所々が剥げていて、一部には鬱蒼と茂った蔦が巻き付いていました。
中に入ると、数年前に起きた地震の影響で壁の所々がひび割れており、外観も内観も一見して廃墟に近い印象を受ける建物でした。
その建物の二階に、私が通っていた塾がありました。
外階段を上って直接塾の出入り口がある形です。
一階には何かの会社の事務所が入っており、三階は使用されていないガランドウでした。
建物の中にも一階から三階まで続く内階段がありましたが、使っている人は誰もいなかったようで、時々覗いてみると、そこは何となく冷たくて、ひどくカビ臭かったのを覚えています。
そんな見た目のせいなのか、この塾には『出る』という噂がありました。
実際に講師や友人から変なものを見たという話を度々聞くことがありましたが、怖いと思う反面、彼らの話にはあまり一貫性がなかったので、私は半信半疑で聞いていました。
ある夏の日のことです。
その日の塾講習は午前中だけだったのですが、外は日差しが強く、エアコンの効いた教室から出たくなくて、私は講習後もそこで課題をこなしながらダラダラしていました。するといつも迎えに来てくれる母親から連絡があり、少し迎えが遅くなるということだったので、私は大手を振ってみんなが帰ったあとの教室に残らせてもらっていたんです。
ただそのせいで、この日わたしは不思議な体験をすることになったんです。
教室には人体模型がありました。
いつも窓際に置いてあり、日焼けしないようにとカーテンの陰に隠れるように置かれていました。
ですが何故かその日、講師の先生が教室のカーテンを全て開け放ち、人体模型を移動して日光が当たるようにしていました。
模型の顔は教室の方に向けられ、その背中には眩しい夏の日差しがもろに当たっていました。
逆光になった人体模型を見ると、そのギョロリとした目が私の目と合った気がして、何だか不気味に感じました。
そんな教室で私は一人残って課題をこなしていました。
講師の先生が時々教室を覗きに来てくれて、その度に雑談したりしながら過ごしていたんです。
そんな風にして数十分が経った頃でした。
なんの気なしに、ふと人体模型の方を見た時です。
「……えっ!?」
人体模型が窓の方を向いていました。
さっきまでは確かに背中に日光を浴びながら教室の方を向いていたはず。それが今はなぜか窓の外を向いているんです。
誰か動かしたはずがないことは、ずっとこの教室にいた私が誰よりも分かっています。
それならこの人体模型は勝手に窓の外を向いたのだろうか?
そう考えれば考えるほどゾッとしてきて、気付くと私は教室のドアを開けて走り出し、無意識に講師室へと逃げ込んでいました。
ノックもせず講師室に突然転がり込んで来た私を見て、講師の先生方は目を丸くして驚いていました。
その様子を見て私は急に恥ずかしくなって、仕事の邪魔にならないよう、何も言わずに講師室の端っこにあった椅子にちょこんと座らせてもらいました。
しばらくそうして座っていると、大分気持ちが落ち着いてきて、私は冷静に人体模型の向きが勝手に変わる可能性について考えていました。
もしかしたら最初から自分の勘違いで、元から窓の方を向いていたのかもしれない。もしくは教室に講師の先生が顔を出してくれた時、私が気が付かないところで向きを変えて行ったのかもしれない。それとも最初に講師の先生がカーテンを開けた時にぶつかって、その衝撃で模型の土台が少しづつ回転し、気が付いた時には向きが変わっていたのかもしれない。
どの仮説も無理があり頼りないのは分かっていました。ですが私はあえてそこは考えず、きっとそうだと自分に言い聞かせたかったんです。
そんな時、一人の女性講師の先生が私に話しかけてくれました。さっき人体模型に日光を浴びせるようにカーテンを全開にしていった先生です。
なぜ人体模型に日光を浴びせるのかも気になったので、それも含めて私は先ほどの動く人体模型の話をその先生に聞いてもらったんです。
すると、先生はふふっと笑ってこんなことを言いました。
「今日は天気がいいからね、窓から山々が綺麗に見えるでしょ?あの子ね、山を見るのがとっても好きなの。カーテンを開けてあげるとね、時々見てるんだ」
私をからかっているのか、それとも怖がる私を和ませようと冗談めかして言ってくれたのか、正直私には分かりませんでした。
だけど、その時の先生の表情がやけに恍惚としていて、気味が悪いと思いました。
直ぐに話も終えて、ただ何となく後味の悪い嫌な感情だけが残りました。
ようやく迎えに来てくれた母の車に乗って、母に今日の不思議な体験を話しました。
するとハンドルを握る母は眉間にしわを寄せて言いました。
「あー、あそこはね、本当に出るんだよ」
向かいの建物で働く母にとって、その塾の入る建物の怪談話は尽きることがなく、有名なものだったそうです。
正直、私としては早く言ってよと思いましたが、母にとっては折角便利な場所にある塾なので、そんな話をして私に嫌がられることを懸念したのだそうです。
母が言うには、塾の入るあの建物では、色々と不思議な体験や不気味な目撃情報が多いとの事でした。塾の友人達から聞いた一貫性のない体験談も含め、母の話を聞いていると、あの建物は色々な霊の吹き溜まりになっているのかもしれないと思いました。
母の話の中で、未だに強く印象に残っている話があります。
ある日、母が仕事をしていると、仲の良かった同僚が真っ青な顔して外から帰って来たそうです。
その表情に驚いて母がワケを聞くと、同僚は塾の一階部分にある事務所に用があって行ってきたそうなのですが、そこで気味の悪いものを目にしたと言うのです。
塾の一階の事務所に入って用事を済ませたあと、その同僚はふと内階段の方が気になって覗き込んだそうです。
すると、長い髪を振り乱した女が、暗い内階段の壁に張り付いていたと言うのです。
肝をつぶした同僚は直ぐに事務所の出入り口から外に出て、もう一度チラッと後ろを振り向くと、さっきの女が事務所の天井に逆さまに張り付いてゆらゆらと揺れていたと言うそうです。
これまでに聞いた友人や母の話、それと自分の体験も含め、やはりあの建物は本当に「出る」場所だったのだと私は今も思っています。
私が塾に通っていた期間中に運良く(?)その建物は取り壊され、塾は直ぐ近くのテナントビルに移動しました。
もうあの建物はありませんが、長い月日が流れた今でも、私の心にはあそこで体験した記憶がずっと残り続けています。
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