体験場所:愛知県O市 某高等学校
私は20代の頃、愛知県O市の高等学校で教諭をしておりました。
教諭の仕事は多忙で、連日残業が続くものでした。
同僚も同じように大量の仕事を抱えていたため、深夜になっても何人も学校に残り仕事をしているのが当たり前の日々でした。
「あー、今日は生徒がトラブルを起こして大変だったな。あいつのおかげで始末書を書かなくちゃいけない」
「うちは〇〇が登校拒否。なんど電話をしても出ないから困ったもんだ。」
「しかし、そろそろ時間だし切り上げて帰ろう!さぁ戸締り、戸締り」
そんな感じで、この学校ではいつも最後に誰かが声をあげ、みんな一緒に帰っておりました。
ある日、私はどうしても明日までにやらなくてはならない仕事に追われていました。
個人情報に関わるものだったので、家に持ち帰ることもできません。
しかたなく私は、学校に残って徹夜でその仕事を片付けようと決めました。
そして夜も遅くなった頃。
「よし、そろそろ時間だし、切り上げよう。」
いつものように同僚の先輩が私に声を掛けてきました。
「今日は、どうしても学校で徹夜しないと終わらない仕事があるんです。」
私がそう答えると、
「一人でこの学校で徹夜する気か!?」
と、先輩は目を見開いて驚いた後、
「やめておけ。明日の朝、早く来てやるほうが安全だ」
と、徹夜での残業を止められました。
「なにか危険なんですか?」
『安全』という言葉が気になって、そう質問すると、
「お前は知らないんだな…」
と、先輩は暗い顔で言った後、
「この学校には、、、、出るんだ。」
私は思わず吹き出しました。
話の流れからまさかとは思っていましたが、案の定、先輩の口から幼稚な言葉が出て私は拍子抜けしました。
「出る?何がです?まさか、幽霊なんて言わないでくださいよw」
そう言って笑うと、先輩は更に真剣な顔になり、
「信じないのか?本当に幽霊はこの学校に出る」
と、笑ってはいけない雰囲気で言い返されてしまいました。
生徒みたいなことを言う先輩に、私は思わず無表情で白い目を向けてしまいました。
いい歳して幽霊を怖がって仕事ができないなんてバカげていると思いました。
だから私は先輩が止めるのを笑い飛ばし、一人で学校で徹夜をすることにしました。
他の先生方が全員帰宅後、私は職員室の自席で一人集中して仕事をしていましたが、思うように捗らず、時間ばかりが過ぎていきました。
深夜2時をまわった頃でした。
私はトイレに行きたくなりました。
職員室からトイレまでは結構距離があります。
そのため、暗い廊下を懐中電灯を持って歩いて行きました。
先輩にああは言ったものの、自分の足音しか聞こえない夜の校舎はやっぱり不気味なものです。
トイレの方向からはフワッと生暖かい風が吹いてきました。
(先輩の脅しがこんなタイミングでボディーブローのように効いてくるとは…)
そう思いながらトイレに到着し、私は大きい方の用を足すために個室に入りました。
ズボンを降ろし、ゆくっくりと用をたしていると、ドアを叩くような音がしました。
個室のドアではなく、男子トイレの入り口のドアを叩く音。
そして、手洗い場の水道がジャーと流れる音がしました。
学校には私以外に誰もいないはずなのに。。。。
「誰かいるのですか!!」
私は意を決して大きな声をあげました。
返事はありません。
「ちょっと、誰かいるんですか!!」
もう一度、叫びました。
すると、
『ドンドンドンドンドンドンドンドン』
トイレの壁全体に何人もの人間が体当たりするような、聴いたこともない大きく不快な音が聞こえてきました。
そして、その音と共に、内臓を引っ張られるほどの重たい空気が、私がいる個室に近付いて来るのを感じます。
私は全身が総毛立ち、止まらない震えに否応なくズボンを下げたまま頭を抱えうずくまりました。
(どうか助けて下さい。助けて下さい。助けて下さい。助けて下さい。)
心の中でそう唱え続けました。
すると、いつの間にか重たい空気はどこかに消え、壁の音もしなくなっていました。
私は何が起きていたのか思い出せないような呆けた顔を上げたのも束の間、ハッと意識が戻った瞬間、ズボンを上げ、トイレを飛び出して職員室に走りました。
職員室に駆け込み、すぐに帰り支度をしました。
そしてパソコンをシャットダウンしようと画面を覗き込むと、
”か・え・れ”
私以外の誰かが開いたテキストファイルに、そう表示されていました…
言われなくても私は一目散に職員室を飛び出し、戸締りもおろか、電気も消さずに学校を飛び出しました。
後日、例の先輩から聞いた話ですが、
この学校には過去に、同僚の教員から虐められて仕事を大量に押し付けられていた教員がいたそうです。
過労も重なり、心まで疲れ果てたその教員は、校内で首を吊り自殺したそうです。
あの時、私に伝えられた『か・え・れ』というメッセージ。
もしかしたらその教員が、働きすぎた私を心配してくれたのかもしれませんね。
私はその後、体調がおかしくなり、学校を辞めることになりました。
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