体験場所:九州の田舎町
私がまだ小学生だった頃、生まれ育った九州の田舎で体験した話です。
私が生まれ育った田舎には、毎年1月中旬に『もぐら打ち』という行事がありました。
地域の小学生以下の子供たちが集まって集落の各家庭を回り、『もぐら打ち』と称する豊作祈願として、家先や田畑の地面を木の棒で叩いて回るのです。
「こんねんしょうがつじゅうよっかのもぐら打ち
もぐらうっていわいましょ
いわいのくにからさんびゃっけんのくらをたて
ぜにだすかもちだすか
ださんものはねずむ(つねる)ぞ」
といったような歌の拍子に合わせ、各家先の地面を子供たちが叩いて回るのでした。
『もぐら打ち』の子供たちがやって来ると、子供がいる家や良識のある家では、暖かいお汁粉を出したりお菓子を出したり、色々ともてなしてくれます。
中には現金でお小遣いをくれる家もあったりしたので、子供たちにとっては臨時収入の場としても、とても楽しみなイベントでした。
しかし、40軒近くある集落の家々の全てが、子供たちの訪問を歓迎してくれるわけではありません。
高齢の老人しかいなかったその家では、訪ねて行っても誰も出てこないことがざらでしたし、中には、そもそも「近寄るな」と、大人から言い聞かされている家もありました。私が行事に参加するようになった時から、その家はずっと訪問不可とされていたので、(なぜ近寄ってはいけないのか?)などと、不思議に思うこともありませんでした。
ある年のこと。
その年の『もぐら打ち』に参加した新一年生の中に、腕白で知られる『道彦』という子供がいました。道彦はとにかく乱暴で、上級生でも構わず喧嘩を売るし、口汚いトラブルメーカーとして知られていました。
なので、道彦によるトラブルを避けるため、その年に限っては引率の大人が1名参加することになりました。
不穏な空気の中での出発となりましたが、意外にも道彦は道中静かで、特に輪を乱すような行為もありませんでした。
寄った家では大人しくお汁粉を飲むし、お菓子も礼儀正しく貰っているようでした。
(ここで暴れてはお菓子をもらいそびれるかもしれない)
そう考えたのかもしれません。
何事も問題のないまま、行事は中盤に差し掛かっていました。
この辺りには先で触れた、『高齢の老人しかいない家』と『近寄ってはいけない家』があります。
するとここで道彦が本領を発揮しました。
まず道彦は、高齢の老人しかいない家にちょっかいを出し始めました。
通常であれば「この家はさあ帰ろさあ帰ろ」とだけ唄い、その場を後にするのが慣例です。
ですが道彦は玄関の引き戸を木の棒でガンガンと叩き、
「こらぁ、出てこい。菓子を出せ。」
と叫びだしたのです。
あわてて引率の大人が「やめろ!」と道彦の手を引きその場から連れ出したのですが、道彦は面白そうにケラケラと笑うばかりでした。
他の子供たちは、私を含め血の気の引くような思いをしていたのですが、下手に口を出すとどんなとばっちりがあるか分からないので、口を出す者はいませんでした。
険悪な空気の中、更にしばらく進むと、次に、大人たちから『近寄るな』と言われている家が見えてきました。
家の明かりは完全に消えており、人がいるかどうかも判然としません。
子供たちの集団はいつも通り素通りで通り過ぎようとしました。
しかし、またしても道彦がその家の敷地内に入り込むと、玄関の引き戸を木の棒で叩きながら、
「こらぁ、寝てんのか。起きろ。出てこい。菓子を出せ。」
と騒ぎ出したのです。
(またか…)と思いつつ引率の方を見ると、引率も(やれやれ…)といった表情で道彦の方へ向かおうとした、その時でした。
玄関の引き戸がガラッと開くと、真っ暗な家の中から木の棒を持ったひどく痩せた男が出てきました。
真冬だというのに上下白のステテコ姿で、髪はぼうぼうに伸び、口元が見えないくらいモジャモジャの髭を生やし、前髪の下に辛うじて見える落ち窪んだ目が骸骨のようにギラギラしていました。
男は出てくると同時に「ウワァァァァァ!」という言葉とも叫びともつかない声を発すると、道彦の手を掴み、家の中に向かって引きずり始めました。
道彦は男の手を払い除け、一旦逃げようとしたものの、背負っていたリュックを掴まれその場に転びました。
そして、今度はその倒れた足を男に掴まれると、そのまま家の中に引きずり込まれてしまいました。
ほんの一瞬の出来事でした。
道彦の悲鳴と引き戸の閉まる音がほぼ同時に聞こえ、引率の大人も子供たちも呆然としていました。
しばらくして、事情を呑み込んだ子供たちが悲鳴を上げだしました。
引率の大人はあからさまに狼狽し、一度は家の入口まで駆け寄りましたが、また子供たちのそばに戻って来て「先に隣の家まで行こう」と言いました。
隣家は200mほど先で、気の良い夫婦が住んでいます。
そこで応援を貰おうと思ったのかもしれません。
子供たちは我先に駆け出しました。
泣いている子供もいました。
隣家に着くとそこの奥さんに迎えてもらい、ようやく一息つきました。
引率の大人は「もぐら打ちはこれで終わりだから、家に電話して迎えに来てもらえ。」と言いました。
そして、その家のおじさんに事情を話すと、再び二人であの家に向かって行きました。
私はただ事ではない成り行きに若干の興奮を覚えつつ、迎えに来た父親にいきさつを説明した後、あの家に住んでいる男のことについて尋ねました。
「知らなくていい。」
父親はそう一言だけ答えました。
その後、道彦は無事に帰ってきました。
ただ、その様子は以前とすっかり変わっていました。
誰かに乱暴することも悪口を言うこともなく、道彦は普通の大人しい子供になっていました。
年の近い子供は道彦に何があったのか尋ねる者もいましたが、道彦は答えることはありませんでした。
私も気にならないでもなかったのですが、あの乱暴な道彦が大人しくなったことだし良かったではないか、下手に突っ込むとヤブ蛇だぞ、と思い、知らん振りをしていました。
集落でもそれ以上の大事になることは無く、次の年も例年通り『もぐら打ち』は行われ(引率が必ず付くようにはなりましたが)、それからも『あの家』を素通りする習慣は続きました。
その後、私は高校進学を期に、集落を出て一人暮らしをするようになりました。
この時の話は思い出すことも無くなっていました。
それから20年近く経った頃、私は地元の友人と飲む機会があり、そこで再びあの夜の『もぐら打ち』を思い出すことになりました。
友人から、道彦が数年前に亡くなったことを聞きました。
堅気ではない世界に身を置いていた道彦は、喧嘩の上で刺殺されたとのことでした。
私は昔の道彦を知っていたので、余り驚きは無く、ただ気の毒に、と思っただけでした。
ただ、その話が切欠となり、あの『もぐら打ち』の夜の話を私は持ち出しました。
すると友人が、あの夜、あの家で実際に何が起こっていたのかを話してくれました。
まず、あの家にいた男が何者だったのかというと、かなり昔から続いている家の跡取り息子だったものの、いつの頃からか精神に異常をきたし、それからは一人で暮らしていたとのこと。
また、若いころに性犯罪の前科があり、病院を出てからはあの家以外に行く当てもなく、集落の人々も「近寄らないように」という合言葉だけを共有し、男のことを遠巻きに見ていたとのことでした。
そして、道彦はあの家に連れ込まれた後、男に乱暴されたという話でした。
それを道彦の父親が、相手は狂人だし、道彦の将来に差支えがあるからという理由でうやむやにしてしまったそうなのです。
私は何とも言えない気持ちになり、初めて道彦をかわいそうだと感じました。
あの時、引率の大人が直ぐに中に入っていれば、子供たちでもっと騒ぎ立ててやれば、また事情は変わったのかもしれません。
結果的に道彦を置き去りにしたことで、道彦の心に二度と消えない傷を作り、彼の人生を変えてしまったのではないかと。
私は何とも後味の悪い思いで友人と酒を飲み、その場を後にしました。
因みに、あの男は数年前に死亡したそうです。
あの家は何者かによる放火で跡形もなく燃やされ、現場は更地になっているということです。
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