体験場所:東京都府中市多磨霊園
あれは約20年前の暑い夏の日のことです。
当時高校生だった私はちょうど夏休みの最中にいたのですが、夜中に突然図書館で借りたビデオを返さなくてはならないことを思い出しました。
そのビデオは通っていた学校の近くの図書館で借りたものであり、本来であれば夏休みに入る前に通学のついでに返すつもりでした。
しかしうっかり借りたまま夏休みに突入してしまい、そのままその存在すら忘れていたのです。
既に返却期間が過ぎていたこともあり、今すぐ返却ボックスに返さなくてはいけないと考えた私は、深夜にも関わらず自転車で図書館に向かって走り出しました。
確か深夜の1時とか2時だったと思います。外はもう真っ暗であり、普段使い慣れた通学路もいつもと違う雰囲気を醸し出していたので、私は少し怯えていました。
そんな中、とある道に差し掛かった時、私は1つの選択肢に迫られました。
東八道路という大きな道に沿って真っすぐ進むか、もしくは手前の坂を下って多磨霊園を突っ切るかの2択です。
多磨霊園というのは日本最大級の霊園であり、中には夥しい数のお墓が連立しています。
当然状況が状況なので出来ることなら後者は選択したくないのですが、普段よく使うのは多磨霊園ルートであり、そっちの方が近道という体感もあったので、結局この時も深く考えることは止めて多磨霊園の方を選択しました。
いざ多磨霊園の入り口に着くと、とてつもない暗闇が目の前に広がっていました。
それは普段使い慣れている昼の多磨霊園とは別物であり、入り口にある「子猫をここに捨てないでください、カラスに殺されてしまいます」といった看板もその不気味さを増しています。
しかし、今更進路を変更するのも面倒です。
私は恐怖を紛らわせるためにイヤホンでHIPHOPを聴きながらペダルを漕ぎ始めました。
地面から生えている標識が人影に見えたり、曲が変わる一瞬に広がる静寂に怯えたりしながら、私はお墓だらけの道を進んで行きました。
時折曲を口ずさんだり、家に帰ったらミルクティーを飲もうなどと考えて気を紛らわせながら必死に自転車を漕ぎ続けていると、ちょうど霊園の真ん中に差し掛かった辺りで問題が起きました。
急に便意を催したのです。
もちろん霊園のトイレなんて使いたくないので抜けた先にあるサークルKで済まそうと必死にスピードを上げましたが、どうにも間に合いそうにありません。
むう~南無三、と、私は仕方なく自転車を止め、十字路の角にある霊園のトイレを使うことにしました。
イヤホンをつけたまま、歩いて自転車からトイレへと向かう途中、嫌な臭いが鼻を衝きました。
まあ公衆トイレなんて臭くて当たり前だろうと特に気にせず、しかしその臭気に垣間見える毒気に怯えながら、私は一歩一歩トイレに近づいて行きました。
トイレに到着し、いざ中を見回した時でした。
私はその異様な光景に思わず息を飲みました。
トイレの中の鏡には「滅臭」「消臭」などと書き殴るように赤いスプレーで落書きされ、手を洗う洗面台や床一面には小さな黒い玉がたくさんばら撒かれていたのです。
私はそのわけの分からない状況に茫然としながらも、迫りくる便意に追い立てられるように恐る恐る大便所の方へと向かいました。
大便所の扉には鏡と同様の赤いスプレーで大きく「殺臭」と書かれていました。
もう恐怖の限界でした。が、同時に便意も限界だったので、私は殺臭の文字に顔を背けるように止む無く大便扉を開けました。
その途端、それまで感じていた嫌な臭いが数倍強烈になって襲ってきました。
もげるほど鼻を押さえながら、後ろに背けていた顔を前方に戻して便器を確認すると、そこには流されずに残っている大便、そして先ほどの黒い玉がまた大量にばら撒かれていました。
もはや嘔吐寸前で絶望に暮れる私でしたが、聴きなれたHIPHOPの歌詞が耳を刺激してくれたおかげで正気を取り戻すことができ、それから一目散にトイレを後にしました。
そのまま自転車に飛び乗ると、結局私は多磨霊園を抜けた先のサークルKでトイレを済ませ、その後ビデオも無事に返却。そして行きとは違う道で帰路についたのです。ちなみにその時借りていたビデオは「キッズリターン」でした。
この時の体験は今思い出しても意味不明ですが、黒い玉の正体はほぼ間違いなく正露丸だったと思います。
あの時は恐怖で気が付きませんでしたが、後にお腹が痛くなって正露丸を服用した際に「あっあの臭いだ…」と記憶が蘇ってきたのを覚えています。
あの状況を無理に解釈するとしたら、もしかしたら誰かがトイレを利用した後、自分の便の臭いに嫌気がさして正露丸をばら撒いたのかもしれません。
しかし、便を流せば臭いもいつか落ち着くでしょうに、それにスプレーの落書きや正露丸のばら撒き行為は結局どこまでいっても意味不明です。
臭いというものに異常に執着しておかしくなってしまった人の仕業と考えれば無理やり納得はできますが・・・
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