体験場所:三重県N市(だったと思います。)
今からおよそ10年ほど前の話になります。
私には2つ年の離れた兄がいるのですが、その兄が当時働いていた仕事で実際に体験した話になります。
兄の前職は、シロアリ駆除の現場作業員でした。
主な仕事内容は、クライアントからシロアリ被害の確認依頼があると、現地に赴き、そのご家庭の家屋の床下に潜って調査を実施、後日施行に係る見積書を作成するといったものでした。
調査の際は、キッチンや台所によくある点検口から床下に潜り、家屋の床と地面の間の狭い空間で調査を行います。場所が場所だけに、ゴキブリは当然のこと、ムカデやカマドウマなど気色の悪い害虫がたくさんいて、それが明かりに反応して顔面に向かって飛んでくるし、夏場は尋常じゃないほど暑いしで、非常に大変な仕事だということを私もよく聞かされておりました。
兄の勤めていた会社は奈良県のシロアリ駆除業者だったのですが、その日、クライアントから依頼された調査内容は、隣県の三重県N市にある一戸建ての空き家に関するものでした。
その頃、兄はもう仕事にも慣れ、余程大型の物件でもない限り一人で現場に赴くことが多く、その日も兄が一人でその空き家へと向かったそうです。
いくら空き家とは言え、調査の際はクライアントが現場に立ち会うのが通例です。
ですが、どういう訳かその案件の依頼主からは「一人で調査に行って欲しい。報告は電話で構わない。」と言われ、現場となる空き家の住所だけが伝えられたそうです。
この時点で、兄は何か嫌な予感をがしていたみたいです。
隣県とは言え、三重県N市の現場までは高速を使っても2時間程かかる上に、その日は他の案件をこなしてからの移動となった為、実際に依頼された空き家に到着したのは、日も暮れかけた夕方のことでした。
人里から少し離れた場所にあった依頼物件は、2階建てのよくあるタイプの1軒家で、空き家なので痛んでいたのも確かなのですが、壁面に鬱蒼と絡みついた蔦を見るに、人が住まなくなってからかなりの時間が経過しているように思われました。
そんな家屋の様相に薄気味悪さを感じながらも、さっさと調査を済ませて帰ろうと、兄は早速その空き家の中に入りました。
既に日の暮れかけた夕方だったこともあり、家の中は真っ暗でした。
歩くと床がきしみ、あちこち老朽化して埃まみれでしたが、荒らされたり散らかっているような形跡はなかったそうです。
ひとまず点検口があるであろう台所を探そうと、兄は家の中の探索を始めました。
玄関を入ってすぐに2階へ上がる階段があり、階段の横には1階の廊下が続き、奥には浴室、途中の右手に台所と居間があるというような間取りでした。
1階の大まかな探索を終え、そろそろ点検口へ向かおうとした時でした。
『ドンドン、ドンドン』
と、誰もいないはずの2階から、誰かが床を踏み鳴らすような音が聞こえてきました。
ビクッとしてそのまま固まってしまった兄でしたが、冷静に考えてみると、「もしかしたら依頼主の関係者の誰かが立ち合いに来ているのかもしれない。むしろ普段通りなら、その方が当たり前だ。」と思い直し、薄っすらと残る恐怖心を抑えながら、2階を確認しに行くことにしました。
ギシギシときしむ階段を上がり、2階を一通り確認してみたのですが、人の気配は全くありません。
背筋にスッと寒気が走った兄は、とにかく急いで調査を終わらせ、一刻も早くこの物件から離れようと決めたそうです。
点検口はやはり台所のキッチンシンク前の床にありました。
兄は早速ふたを開けて床下に潜り込みました。
調査ではヘルメットに装着されたライトの明かりだけが頼りなのですが、その照射範囲は視界のほんの一部分だけ。その先には真っ黒な暗闇が広がっています。その不鮮明で頼りない視野が、先程から感じている恐怖心を余計に煽りました。
それに狭い床下では思うように移動も出来ず、その束縛された状態が、その時の兄にとって何より不安に感じさせるものだったそうです。
床下に入り調査を始めて数分が経過した頃でした。
『ドンドン、ドンドン・・・』
再び2階から足音が聞こえ、またしても兄は凍り付きました。
暗い床下で自由が利かない状況は、上の階から何がが降りて来てしまうのではないかという恐怖に拍車をかけ、余計に体を強張らせます。
『ドンドン、ドンドン、ドンドン、ドンドン・・・』
音はさっきよりも強く、長い時間鳴り続けます。
『ドンドン、ドンドン、ドンドン、ドンドン・・・』
一体上に何がいるのか、そんなことを狭い床下で想像するほど鼓動だけが早まり、もはや恐怖が限界に達した兄は、
「調査はもういい。おおよその結果だけ報告することにして、ここはもう引き上げよう」
そう思って、点検口を目指して床下を必死で移動しました。
『ドン、ドンドン、トン、ドンドン、ドン・・・』
音は強弱を伴いながら、まだ鳴り続けています。
一心不乱に床下を這いつくばり、やっとの思いで兄は点検口まで辿り着きました。
まるで水中から顔を出すように、床下からブハッと床上に顔を上げた時、かぶっていたヘルメットのライトが照らすした1階天井を見て、兄は絶句しました。
天井一面に余すことなく真っ赤な手形が貼り付いていたそうです。
「ひぁ ぁぁ~あぁ~ぁ~」
兄は声にならない悲鳴を上げ、無我夢中で空き家から転がり出て、車に飛び乗り一目散に帰ったそうです。
翌日、兄は職場の同僚や上司に昨日のことを話したそうです。
すると、三重県での案件は多いものの、誰もそんな物件を担当したことはないと言っていたそうです。
とりあえず、兄は昨日の空き家物件に関する報告を済ませようとクライアントへ電話を掛けたそうなのですが、受話器から聞こえてきた声は「現在その電話番号は使われておりません…」というアナウンスだったそうです。
クライアントからの調査依頼は電話だけのやり取りだったため、結局、その依頼主が何者だったのかは分からずじまい。
この案件の真相については何も分からないまま、とにかく気味の悪さだけが残ったそうです。
兄によると、一階の天井一面い貼り付いていた真っ赤な手形は、心なしか少し小さめで、大人のものではないように見えたとのことです。
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