体験場所:長崎県長崎市
私が25歳の時、結婚して娘を産んですぐのことです。
母に癌が見つかりました。
私には3歳の娘を育てている姉と当時大学生だった弟がいました。
癌が見つかった時にはすでに末期。専業主婦だった母の体調に誰も気付かなかったのです。
どうにか治るようにとできる限りの手を尽くしましたが、みるみるうちに母は弱っていきました。
母の最期を家族で看取ると決め、県外の大学で一人暮らしをしていた弟も危篤状態になってからは学校を休学し、帰省して24時間体制で看病をしていました。
最後は動くことも話す事も出来ずただ寝たきりの母でしたが、亡くなる3日前、急に目を開けて、話すことは出来ずとも笑顔を見せてくれました。
その時ちょうど訪問看護の方が来ていたので写真を撮って頂きました。
まさかそれが最後の家族写真になるとは思ってもいませんでした。
写真を撮って3日後、母は静かに息を引き取りました。
母の体調が悪かったことにもっと早く気づいていたら…と自分を恨み、もっと色々な話をして色々な所に行って色々な思い出を作ればよかった…と後悔する毎日でした。
慌ただしくお通夜とお葬式が終わり、姉も弟も抜け殻のようになり喪失感に苛まれていました。
兄弟3人でいる時、弟が泣き出しました。
弟はまだ大学生。
就職して立派になる姿も、結婚する姿も母には見せられない。まだ母に何も親孝行出来ていないと泣くばかり。
私はそんな弟の姿をただただ見ている事しかできません。私も姉も涙が溢れて止まりませんでした。
まだ早すぎる母の死を受け入れることなんて到底出来ませんでした。
すると、当時3歳でまだ言葉もおぼつかない姪っ子がすっと立ち、弟の横に行って手を繋いだのです。
何て優しい子なんだろうと思っていたら、すると姪っ子が言いました。
「大丈夫だよ。ちゃんと見てるからね。大丈夫。」
姪っ子は言葉の発達が遅く、まだまだ何を言っているのか聞き取れない位の話し方だったのに、その時だけはハッキリと喋ったのです。
姉はびっくりして娘を見ました。
きっと心配になった母が姪っ子の身体を借りて話してくれたんだと思いました。
弟は更に泣き出し、ごめんね…ごめんね…と姪に、母に謝っていました。
その後も、姉夫婦が喧嘩になった時など、姪っ子の身体を借りて母が降臨することが何度かあったそうです。
母はいつまでも私たちを見守ってくれている。
そう感じました。
もう一つ不思議なことがありました。
東京に住む従兄弟がお葬式の日に連絡をくれたのですが、
「何かよく分からないけど、頭の中に言葉が出てきて、それを伝えなきゃと思った。」
従兄弟は電話口でそう話した後、頭の中の言葉をこう伝えてくれました。
「ずっとあなた達の味方だから。周りから何を言われても自分たちを信じて頑張りなさい。」
従兄弟の頭の中にこの言葉が浮かんだのは、母の訃報を聞く前だったそうです。
私達が母の死を乗り越えて、普通の生活が送れるようになってきた頃、母がやってくる事も無くなりました。
きっと成仏したんだと思います。
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