【怖い話|実話】短編「平和の誓い」心霊怪談(埼玉県)

投稿者:しもとっぷ さん(20代/男性/無職)
体験場所:埼玉県T市 某キャンプ場
キャンプ場
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私がまだ10歳ぐらいの時、夏休みに所属していたのクラブでキャンプ行事が開催されました。

2泊3日と当時の私には長い旅でしたが、とても楽しみにしていたのを覚えています。

市役所の職員さん2名が責任者として同行し、小学生達が主体となり、食品の買い出し準備から行事を行ったりと、非常に良い経験にはなったのですが…

当日、私たちはバスに揺られて埼玉県T市のキャンプ場に昼前には到着しました。

到着後、全部で20人ぐらい参加していた小学生は好きなように5チームに分かれ、チームが出来たら大学生のボランティアさんにチームリーダーになってもらいます。

昼間はみんなでテントを立て、川で遊んだり炊事したりと、とても楽しい時間が過ぎて行きました。

そして夜になって始まったのが、キャンプの定番イベントとも言える「怪談話」でした。
しかもただ話を聞くだけではなく、話を聞いた後で各チームごとにミッションに挑戦するのです。

そのミッションとは『チームごとに電気ランタン一つを持って夜の山に入り、その先にある戦争で亡くなった人の地縛霊が出るという井戸まで行き、各自が献花をして、平和への誓いを立てて来る』というものでした。

今思えば、きっと用意周到に準備されていて、危険は無いように行われていたのだと思います。

まずは大学生のボランティアさんが、どうしてその井戸に地縛霊が取り憑いたのかを怪談話として聞かせてくれたのですが、その内容に含まれていたものは怪談としての怖さというよりも、戦争の悲惨さでした。

その話とは、

「戦争が終わっても、それは当時の子供達にはさして意味が無かったみたいでね、終戦後、とある幼い兄と妹の兄妹は両親を失い家もなく、ひもじい日々を送っていたんだ。

でもそんな二人に『百姓の跡取りが欲しい。君たちが来てくれないか?』という話が舞い込み、二人は喜んでそれに付いていった。その連れてこられた場所というのが、そう、今でこそキャンプ場としてレジャー施設になっている、まさに今君たちがいるココだったんだ。

でも、連れてこられた兄妹を待ち受けていたのは決して嬉しい状況などではなかった。
それは逃げようもない奴隷のような生活だったんだ。

それはあまりにも酷すぎて、具体的なことは今のみんなには話せない。
その悲惨な日々の中で、その兄弟は幼くして息を引き取った。

その無念は消えることなく、兄妹の魂は地縛霊となり今もそこの山の中の井戸に取り憑いているんだ。

戦争が残した爪痕は、それほどに悲惨なものだったということだよ。でも、だからこそ、もう酷い争いは引き起こさないことを、まだ成仏できていないないその兄妹の霊の前で、誓いを立てて来て欲しいんだ。」

…という話でした。

一同、怖いというより、考えさせられる内容でした。

その後、チームごとに井戸に向かい誓いを立てるミッションが続きます。
一つ目のチームが電気ランタンを持って井戸に行き、戻ったら二つ目のチームがランタンを受け取り出発するという具合です。

どのチームも順調にミッションをクリアし、そして遂に私がいた最後のチームに順番が回ってきました。

怖さはありましたが、私達なりに覚悟を決め、帰ってきたチームからランタンを受け取り出発しました。

井戸までの道中は順調で、悲鳴を上げるようなことは特に起こりませんでしたが、返ってそれが静かな真夏の夜を肌で感じさせ、薄気味悪い気持ちにさせられたように思います。

無事に井戸へたどり着いた私たちは、

「もう二度と、平和な日本を酷い争いに晒しません」

と誓いを立てて、そのまま何事もなくキャンプ地へと戻ってきました。

すると、キャンプ地の様子が変だったんです。
みんなテントではなく、キャンプ場の管理室に集まって騒いでいるのです。

どうやら、ミッション前に怪談話をしてくれた大学生のボランティアさんが、急に体調を崩したようなのです。

私も心配で遠巻きに見ていたのですが、その大学生はかすかな声で、

「ゴメンナサイ。サカラワナイカラ、ユルシテクダサイ。ゴメンナサイ。」

と呟いていたのが聞こえました。

見たこともないような青白い顔色で、完全に血の気が引いているのが分かりました。

大学生
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市役所の職員さん1名が付きっきりになりながら、そんなに待たない内に救急車が到着して、そのボランティアさんは搬送されました。

翌日、急遽市役所の職員さんから、

「申し訳ありませんが、2泊3日のキャンプは、今日の昼で中止します」

との連絡があり、たった一泊二日でそのキャンプは幕を閉じました。

当時は訳が分からないまま漠然と指示に従い帰宅したのですが、後々になってあの大学生の口から洩れた言葉は一体何だったのか、気になってしまいます。

「ゴメンナサイ。サカラワナイカラ、ユルシテクダサイ。ゴメンナサイ。」

あれから15年たった今でも真相を知る人は私の周りにはいません。
きっとあの大学生の持病のようなものが発作的に発症しただけだと私は思っているのですが…

・・・みなさんはどう思いますか?

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