【怖い話|実話】短編「そこに憑く」心霊怪談(愛媛県)

投稿者:Yunmi さん(30代/女性/学習塾の事務員)
体験場所:愛媛県I市

私の祖父母は愛媛県のI市で暮らしています。
そこは海に近い静かな田舎町で、当時、同じ県内のM市に住んでいた私は、幼い頃から家族で休みの日に祖父母の元を訪れるのを楽しみにしていました。

祖父母の家に滞在中、特に楽しみだったのが、祖父母と一緒に祖父母の飼っている愛犬マルを連れて、田舎道を散歩することでした。
優しい祖父母の話すたわいのない昔話が面白くて、何時間もブラブラと散歩をすることもありました。

私が小学校3年生の夏のことです。
その年も夏休みを利用して祖父母の家に1週間ほど滞在することになりました。

到着して早速、挨拶も早々に私は待ちきれず祖父母と一緒にマルを連れて散歩に出発しました。

その年も暑い夏でしたが、田舎道を歩いていると、涼しい木陰に爽やかな風が吹き込み、とても清々しい気持ちになります。

心地よい風に背中を押され、私はそれまで歩いたことのない道を探したくなり、山道を奥へ奥へとグングンと進みました。

すると、20分ほど進んだ頃に突然、山中には不釣り合いな白い建物が見えてきました。

白くて角ばった巨大な木綿豆腐のような、特徴のない形をしたその建物には、曲がりくねったツタがぐるりとまとわり付いており、見るからに不気味な様相をしていました。

不気味な廃墟
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独特の存在感を放つその建物をぼうっと眺めた後、私はクルッと向き直り、後ろを歩いていた祖父母に「ねぇ、これなぁに?」と聞きました。

それと同時に、祖父母が真っ青な顔でこちらを見ていることに気が付きました。

震えているようにも見える祖母の横で、険しい表情をした祖父が、

「ここはいかん。帰るぞ。」

と、静かながらも力強い声を発し、私は少しビクッとしました。

結局、質問には答えてくれないまま、私たちはそのまま帰路についたのです。

帰宅後、夕食の場でも祖父母は山中にあった建物について全く触れる様子もなく、私は気になって仕方がありませんでした。

そこで、祖母と一緒に入ったお風呂の中で、思い切って質問をぶつけてみたのです。

「おばぁちゃん、今日お散歩中に見つけたあの建物はなぁに?」

すると祖母の表情はみるみるうちに青ざめ、

「しっ!その話はしたらいかんの!」

と言って私を制しました。

それでも、小学3年生が抱いた興味はそう簡単には消えません。

「なんで?なんで?気になって今日は眠れないよ!」

そう言って駄々をこねる私を見つめ、祖母は溜息をついた後、諦めたように語り始めたのです。

「太平洋戦争でな、このI市の辺りはひどい空襲を受けたんじゃ。
その時にな、空襲の被害に遭った学生さんが数人、大怪我を負って苦しみながらあの山道をはいずり回っとったんじゃ。そうして、ようやく辿り着いたのが今日見たあの建物、診療所じゃった。」

戦争・空襲・診療所。
思いもしていなかった話に私は背筋がゾワッと冷たくなるのを感じました。
祖母は続けます。

「やっと診療所に辿り着いた学生さん達じゃったが、到着した時にはもう手遅れじゃったんよ。よほど苦しかったんじゃろうな。診療所の医師の腕を強く強く握って『憎い、こんな想いをさせられて憎い、この恨みは消えん』そう言って亡くなったそうじゃ。」

亡くなった学生
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聞いてしまったことを後悔し始めていた私をよそに、祖母は更に続けます。

「学生さんは、なぜ自分がこんなに苦しい想いをせねばならんのか、誰によって苦しめられているのか分からなかったんじゃ。だからな、学生さんの強い【怨み】は行き場がないまま、結局あの診療所に残っておると言われておってな…」

「学生さんが亡くなった数日後にな、診療所の医師が亡くなったと思ったら、医師の奥さんや働いておった看護師さんも次々と亡くなってしもぉた。
それからというもの、あの診療所には近づく者はおらんのよ。取り壊しの話もあったが、解体現場で事故が続いてな。今では話すことも良しとされんのじゃ。」

私は怖くて怖くてたまらなくなって、その夜は全く眠れませんでした。

行き場のない怨念・恨み。
それが消えることもないまま、最期を迎えた場所に留まることもあるのだと知り、私は幼心に、初めて人の想いというものに恐怖を感じました。

廃墟と化した診療所に、今も漂う行き場のない怨念。
それが浄化の矛先を持たぬまま、悲痛な叫びを上げ続けているのかと思うと、もちろん怖くもあるのですが、今ではそれ以上に、胸を締め付けられる寂しさが込み上げてきます。

無念にも亡くなられてしまわれた方々のご冥福を、心よりお祈りします。

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