
体験場所:山梨県南巨摩郡
今から20年近く前の話です。
私のお婆ちゃんは、山梨県のだいぶ奥の方、山や川に囲まれ、田畑が広がる自然豊かな土地で暮らしていました。正に集落という呼び方がピッタリの、数軒の家の集まりの中におばあちゃんの住む平屋の一軒家もありました。
この話は、当時高校生だった私が、両親と共にそのおばあちゃんの家に泊りがけで遊びに行った時のことです。

その日はお天気も良く、昼間は近くのハイキングコースを歩いて、大自然の美味しい空気を胸いっぱいに吸い込み、夜は地元の特産物をお腹いっぱいに頂き、大満足な一日でした。
田舎の夜は早く、晩御飯の後、私はすぐにお風呂に入りました。
タイル張りのレトロな雰囲気のお風呂はとても心地よく、ゆっくりと湯舟に浸かりながら、ふと視線を上げた時、窓の外を一瞬人影がよぎるのを見ました。

(お母さん?それとも、おばちゃんかな?)
その時はそう思うぐらいで、特に気に留めることもありませんでした。
お風呂から上がり脱衣場を出ると、ちょうどそこにおばあちゃんが居たので、私は聞いてみたんです。
「さっき、お風呂の外にいた?それともお母さんだったのかな?窓の外に誰かいるように見えたんだけど…」
すると、なぜかおばちゃんは急に困ったような顔になり、私の質問に答えることなく、おかしなことを話し始めたんです。
「今日あんたの布団は奥の部屋に敷いたけど、絶対に部屋の中でしゃべったりしちゃいかんよ。笑ったりもいかん。それに誰かに何か聞かれても答えちゃいかんよ。絶対にな」
突然おばあちゃんが何か怖いことを言っているような気がして、
「え?なんで?じゃあ、お母さんと一緒の部屋に寝るよ」
と、私は不安になって言うのですが、
「仏間には布団が三枚も敷けなかったんだよ。とにかく、その約束だけ聞いてな。」
と、必至に私を説き伏せるように言うだけでした。
仕方なく私はおばちゃんが言っていた奥の部屋に行ってみると、そこには私の布団だけが敷かれていて、両親の布団はその隣の狭い仏間に敷かれていました。
布団に入ると、昼間のハイキングの疲れもあってか、私はいつの間にか電気も消さずに眠ってしまったようでした。

ふと目が覚めると、夜中の2時を過ぎた頃でした。
(2時か。あれ?電気点けたままだ。消してもう一度寝よっと)
そう思い、立ち上がって電気を消した時です。
「ぐぉ#ぁ…あlp…うぁwが$…」
かすかに人の声のようなものが聞こえたのです。
思わず「なに?」と声を出しそうになった瞬間、おばあちゃんに言われたことを思い出しました。
「絶対に部屋でしゃべっちゃいけないよ」
その言葉を思い出し、私は口に手を当て声が出そうになるのをグッと堪えました。
(…なんなの?この声?誰が話しているの?)
その不可解な状況に困惑していると、最初微かに聞こえていた声が次第に大きくなっていきます。それがある程度はっきり声だと認識出来るくらいの大きさになった時、どうやら声は床下から聞こえることに気が付いたんです。
更に集中して耳を澄ますと、
「かぁあごめ…、かぁごぉめえ…」
と、女性の歌声のように聞こえたかと思えば、
「お花を…あげましょう…きれぇな…おはなぁ」
と、誰かに話し掛けているようにも聞こえます。
そのうち声は私に呼びかけるように、
「ねえ…そこに…いるんでしょぉ」
そう聞こえた瞬間、一気に体中に鳥肌が立ちました。

一体この声の主は誰なのか、なぜ床下なのか、なぜ私に呼びかけるのか、何もかも全く分からず私は恐怖に震え上がりました。
とにかく今はおばあちゃんの言い付けだけを守ろうと、私は布団の中に頭まで潜り、絶対に声が出ないように両手で口を覆いました。
そのまま震えて耐えていると、極度の緊張と疲労のせいか、私はそのまま寝むってしまったようでした。
次に目が覚めると、部屋には朝の陽射しが差し込んでいました。
注意深く耳を澄ましましたが、床下からの声は聞こえません。
私は直ぐに布団から飛び出し、朝ご飯を作っているおばちゃんの所に行きました。
「怖かったよ~。女の人の声がした。でも絶対に声を出さないようにしたよ。」
怯えて昨晩の体験を話す私を見て、おばあちゃんは料理の手を止め、ゆっくりと言いました。
「やっぱり、まだあの人おるんやね…」
うつむいて落胆したような声でそう言うと、次におばあちゃんは私を見つめ、
「でも、あんたがちゃんと約束守ってくれて、良かった…」
そう言って、私を抱きしめてくれました。
そうしておばちゃんは、私が眠った『奥の部屋』について話してくれたのです。

数年前、おばちゃんの家に知り合いの娘さんが泊りに来たことがあったそうです。
その時も、娘さんにお風呂に入ってもらった後、奥の部屋に敷いた布団で眠ってもらったそうなのですが、翌朝、その娘さんからこんなことを言われたらしいのです。
「この家は変なことが起こるね。昨夜はお風呂場で窓の外に誰か分からない人影を見たし、夜中には部屋の床下から女の人の声がして、話しかけられたから「なあに?」と返事したら、笑い声が聞こえたよ。」
おかしなことを言う娘だと思いながら、
「夢でも見たんだろう。」
おばあちゃんはそう返答したそうです。
二日後、その娘さんは自殺したそうです。

自殺の理由は全く分からなかったそうですが、おばあちゃんは「もしかしたら奥の部屋で話しかけられた何かに連れていかれたのかもしれん…」そんな思いが心をよぎったそうです。
それからしばらくして、古くなったおばあちゃんの家は建て替えを行ったそうなのですが、『奥の部屋』の床下を掘り返した時、1枚の手鏡が出て来たそうなのです。

それを見たおばあちゃんは、自殺した娘さんが『奥の部屋の床下から声がした』と言っていたことを思い出し、なんだかとても気味が悪くなって、その手鏡をすぐにお寺に持って行って供養してもらったそうです。
建て替え後も住み慣れた家の間取りはほとんど変えず、『奥の部屋』もそのままの場所にありましたが、その後は何か起こることもなく、おばあちゃんも『床下の声』の事はほとんど忘れかけていたそうなのですが…
私がお風呂場で人影を見たと言った時、再び昔の事を思い出し、おばちゃんは困惑したそうです。
(もしかしたら、孫も床下の女に魅入られてしまったのか…)
女から見限ってもらうためには、危険でもむしろ奥の部屋に私を寝かせ、女の声を徹底的に無視させることで、毅然とした態度を女に見せる必要があるとおばあちゃんは考え、
「絶対に声を出したらいかんよ。」
そう言って、私を奥の部屋で寝かせたのだそうです。
実際に私には女性の声が聞こえ、話しかけられました。
おばあちゃんの知り合いの娘さんも同じ声を聞いて、それに返事をしたというのも事実なのでしょう。娘さんがそんな嘘をつく必要もありませんし。
そして、その二日後に自殺したということも、おそらく事実なのでしょう…
もしあの時、私も床下から聞こえた声に答えていたら…
そう思うと、あれから20年経った今でも怖くなります。
それから数年後、おばちゃんは病気で亡くなり、その家は空き家となって売りに出されました。
日当たりの良い平屋の一軒家だったので、すぐに買い手がついたのですが、今でもあの『奥の部屋』では、床下から女性の声が聞こえるのかもしれません。
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