【怖い話】心霊実話|長編「廃墟の鏡」東京都の恐怖怪談

投稿者:redfreesiasa222(68歳/男性/無職/東京都在住)
体験場所:東京都新宿区百人町
東京都:廃墟の鏡

これは今から六十年ほど前の話になります。

当時、まだ私は六歳で、小学校に上がりたての頃でした。

私の生家は新宿の百人町という所にあって、父はサラリーマンとして大手電機メーカーに勤め、家では雇い人を一人使って文房具店を営んでいました。

ようやく戦後の復興を果たしたとはいえ、戦争の爪跡はまだ此処彼処に残っている時代でした。

私が今でもよく覚えている当時の光景に、新宿駅の辺りで、軍帽を被り、白い気流しの様な着物を羽織った兵隊さんが、物乞いをしている姿があります。

片腕がなかったり、片足がなかったりといった兵隊さん達が、路面にしゃがみ込んで物乞いをしていたのです。

そうした敗戦国の臭いが、当時はまだ街中に広がっている頃でした。

百人町は新宿駅の北側に位置しており、私の暮らしていた三丁目は、山手線の新大久保駅から十分ほどの所にあります。

今でこそ、その辺りには、東京山手メディカルセンターや、東京都健康安全研究サンターなどの巨大施設が建ち並んでいますが、当時は新宿のお膝元にも関わらず、当たり前のように井戸が使われていたり、便所のない家も多かったため、戦後の復興期に建てられたと思われる木造バラックの汚い共同便所が、あちこちで目に着く様な貧しい状況でした。

また、戦時中の面影を残す場所も多くあり、有刺鉄線が張られ、杭で囲われた広い空き地や、高さ三メートルはありそうな灰色の塀で囲われた敷地には、朽ち落ちたコンクリートやレンガ造りの建物が、撤去されずにそのまま残されていたのです。

私が大学生の時にこの世を去った母親から、幼い頃に聞いた話によると、その建物跡は、もともと旧日本軍の研究施設で、東京大空襲の際に破壊され、施設の職員や軍人が大勢亡くなった場所なのだと聞かされました。

そんな曰く付きの土地だった為か、その周囲ではよく、人骨を咥えた野犬を目撃したり、軍服を着た日本兵の幽霊を見たなどと言う人も多くいたようです。

「あそこで遊ぶんじゃないよ!」

と、そんな話を聞く度に、母親からよく言われたものですが、幼かった当時の私には、それがどういうことなのかいまいち飲み込めず、私にとってその廃墟群は、生まれた時から近所にあった当然の場所という感覚でしかありませんでした。

ですので、今と違って町内の絆が強かったあの時代、私たち子供も近所の年長を頭にして集まっては、その空地の有刺鉄線をすり抜けて忍び込み、その廃墟の中でしょっちゅう遊んだものです。

そんなふうに、戦争の怨念を生々しく残し、不気味な廃墟が散在したそのエリアで、今でも私が不可解に感じているある事件が起こったのです。

私の家の斜向かいに、名前はもう忘れてしまいましたが魚屋がありました。

その魚屋には、美智子という名前の私と同い年の娘がいて、みっちゃんと呼んでよく一緒に遊んでいました。

私達にはもう一人、同じ幼稚園から同じ小学校に上がった正夫という友達もいて、三人は学校が休みになると、示し合せては例の廃墟に入り込み、おしゃべりをしたり、かくれんぼをして遊んでいました。

今でもよく覚えています。
小学校に上がって始めての夏休みの、良く晴れた初日のことでした。

私たちはいつものように三人で廃墟に遊びに行きました。

その廃墟は赤茶けたレンガで造られていましたが、爆風によるものなのでしょう、窓枠などは全く残っておらず、天井も吹き飛ばされてありませんでした。

中に部屋の仕切りが多少は残っていたものの、露出した地面には草が生えている荒れ果てた状態です。

そのような荒廃した廃墟の中で、ただ一つ、少しだけ異様に感じたのが、爆撃を受ける前にはきっと大きな鏡だったのでしょう、割れてしまってはいましたが、その鏡の一部が壁に張り付いたまま残っていたのです。

暫くの間みっちゃんが、その壁に張り付いた鏡に映る自分の姿を、じっと見詰めていたのを覚えています。

その後、私たちはかくれんぼをして遊び始めました。

最初に鬼になった私は、まず最初に正夫を見つけました。

それからみっちゃんを探し回るのですが、いくら探しても見付かりません。

これではかくれんぼが終わらないと、正夫も一緒になって探し始めたのですが、やはりみっちゃんの姿は見付けられませんでした。

空はだんだんと日が暮れていきます。

夕方までには帰らないと私も正夫も母親に叱られてしまうので、二人して大声でみっちゃんの名前を呼びながら出てくるように促すのですが、とうとう彼女は姿を現しませんでした。

私達は仕方なく「みっちゃーん、先に帰るよー!」とだけ言い残し、そのまま家に帰ってしまいました。

大騒ぎになったのは、その日の夜半からでした。

夜になってもみっちゃんは帰ってこなかったのです。

私と正夫は駐在所のお巡りさんにしつこく尋問を受け、親からは大目玉を食らいました。

山中でもない都心で、子供の行方不明となれば、まずは誘拐が疑われたようでした。

娘が行方知れずとなり、魚屋のおばさんとおじさんも気が動転し、血眼でみっちゃんを捜索していたんです。

しかし、それから三日程して、みっちゃんはひょっこり家に帰って来たんです。

三日間どこで何をしていたのか、いくら聞いても、みっちゃんは何も答えなかったそうです。

それから一週間ほど、みっちゃんは近くの病院に入院しましたが、退院後はまた以前と同じように、私と正夫の三人で遊ぶようになりました。

ただ、私も正夫も、目の前にいるみっちゃんが、以前のみっちゃんとはどこか違ったように感じていたのです。

それから暫くして、私は小学校二年の二学期に、父親の仕事の都合で横浜に引っ越し、みっちゃんとはそれ以降、疎遠になりました。

以上が、私が六十年ほど前に体験した出来事です。

因みに、私には三つ年上の姉がいます。
姉も当然みっちゃんのことは知っています。

最近になって昔が懐かしくなり、姉にこの時の話をしたのですが、すると姉がおかしなことを言うのです。

「みっちゃん、確か右の頬に、そんなに大きくはなかったけど、ホクロがあったわよね。それが、あの事件の後、みっちゃんのその右頬のホクロがなくなってて、その代わりというのか、左の頬の同じ所に、同じようなホクロが出来てたのよ。」

そのホクロの色にちょっとした特徴があったので、姉は気になって覚えていたのだそうです。

姉のこの記憶が何を意味しているのか…

『今までのみっちゃんとはどこか違う』

私と正夫が感じたあの感覚は、間違いではなかったのか…

行方不明になる直前、みっちゃんがジッと見つめていた廃墟の中の割れた鏡。

そして、帰ってきたみっちゃんのホクロが左右反対になっていたこと。

この不可解な一連の出来事には、何か関係があったのでしょうか。

今はもう、百人町には私の生家も、その斜向かいにあった魚屋もありません。

区画整理が行われていて、その事件のことを知る人達もいなくなってしまったようです。

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