体験場所:千葉県君津市 鹿野山
これは私が学生だった頃の話です。
当時から日本の古代史に興味があって、マニアというようなレベルではないのですが、ネットでそうしたサイトを読みふけったり、近くにあるちょっとした遺跡や古墳などをよく訪ね歩いていました。
車も持っていて軽いドライブも趣味だったので、気軽に日帰りできる距離ならば思いついた時に一人で気楽に行っていたんですね。
その頃、私が特に興味を持っていたのが東征(とうせい)や蝦夷(えみし)の話で、関東では特に千葉や茨城に多くの伝承が残っていて、そこから平安時代の頃に登場する蝦夷の王である阿弖流為(あてるい)に興味を持ちました。
そんな頃、千葉に阿久留王(あくるおう)という伝説の蝦夷の英雄の塚があると聞いて、ちょっと興味が湧いたんですね。
阿久留王とは別名『悪路王(あくるおう)』とも言われていて、阿弖流為と同一視されることもある存在なんですが、阿弖流為は平安時代の人物で、悪路王は鎌倉時代の人物。まあ別人だろうという見方が強いんですが、もしかしたら蝦夷の英雄というものは、大体どの時代でもそういう似た名前が付けられていたのかもしれません。
この阿久留王というのは、私の地元、千葉の伝承では『千葉の王』とされていて、なんとあのヤマトタケルに討伐されたと伝わっています。
ヤマトタケルというと日本神話上の人物ですし、阿弖流為と比べてもかなり時代を遡ります。
おそらく古い言い伝えと伝説的人物が結びついて伝承になっていったのだと思いますが、とにかく興味が湧いたので、伝説の蝦夷の英雄『阿久留王』の塚に行ってみることにしました。
(ちなみに千葉にはヤマトタケルの伝承も多くあり、君津という地名もヤマトタケルが歌に詠んだという「君さらず」という一節が由来だと言います。)
さて、その塚があるのは千葉県君津の鹿野山(かのうざん)というところ。
渋滞が嫌なので、平日のかなり早い朝に向かいました。
千葉というのは高い山は存在しないのですが、房総半島の奥にも入ると人も少なくなり、それなりに自然が多く山は深くなります。
道路は舗装されていて綺麗ですが、平日の早朝ともなると他の車に会うこともほとんどありません。
地元で有名な牧場の横を通り過ぎ、なんか妙に立派なお寺などを横目にくねくねの道路を進んでいきます。
そうしてようやく目的の塚の近くまで来たのはいいんですが、何かおかしいんです…
車から出たくないんです。
私自身が何かおかしくなっていたのでしょうか・・・
塚の近くまで来たところで、何となく車から出るのが怖くなりまして・・・
今思い返してみれば理由も色々あったとは思うんです。
朝から小雨が降っていて山の森全体がちょっと湿っぽかったとか、そのせいで車の運転中に怖い場面があったとか、とにかく人に全然会わないとか、私自身が不安や怖さを感じる要素は細かくはあったとは思うんです。
けど、それとは別にもう一つ、ずっと嫌な感覚があったんですね。
うまく説明できないのですが、目的地に近づくに連れて何らかの気配を感じていたんです。
心霊の類とは思わなかったんですよ。
そういったボヤっとしたものではなく、もっとハッキリとした何かの気配。
窓の外の森の奥からずっとこちらを見ているような。
具体的に言うと獣の視線のような感じ。
誰もいない深い森の奥から、こちらをずっと見ている獣。
正直、自分の妄想だとも思いました。
もともと私は深い森を見ると、何となくそういう存在を無闇に想像してしまうことがあるので…
ただ、それにしても自分の中のその獣のイメージがやけに具体的で…
その姿は、茶色い縞模様の『虎』でした。
もちろん実際に見えていたわけではありません。
それなら驚いてすぐに通報してますし。
でもずっと、森にいる虎のイメージが頭から離れなくなってしまったんですね。
濡れた草を踏みながら、こちらを静かに見つめる大きな虎の姿が。
千葉の山に虎が生息しているなんて話はもちろん全く聞きませんので、なぜ虎をイメージしたのか分かりません。
でもやっぱり怖かったんです。
そうした人里離れた史跡などを一人で訪ね歩いていた経験からも、怖いと思ったら無理をしないという鉄則に従い、その日は引き上げて家に帰りました。
家に帰ってもやはりその事が気になって、ネットで調べてみることにしたんです。
「千葉 虎」と、入力して検索。
そうしたら、ある事件が一発でヒットしたんです。
「神野寺虎脱走事件(じんやじとらだっそうじけん)」
私が生まれる前だったので、全く知らない事件でした。
1979年、神野寺という寺で飼育されていたベンガルトラが脱走し、付近の山を逃亡の末、捜索隊に射殺されたという事件でした。
その事件の現場となったのが、私が目指した千葉県君津市の鹿野山。
そして虎を飼育していた神野寺という寺が、道中で通り過ぎた、あの妙に立派なお寺だったんです。
脱走した虎は二頭。
一か月近く山の中に潜んでいたそうです。
その間、捜索隊の追跡から山中を逃げ惑う二頭の虎の、不安と緊張はどれほどだったのか…
森の中を追われる最中どんな世界が見えていたのか…
もしかしたら、鹿野山へ向かう私が感じたものは、その虎が残した気配と視線だったのかもしれません。
ちなみに私が向かっていた塚の主、阿久留王と同一視される阿弖流為ですが、最終的に坂上田村麻呂に降伏し投降します。その後、田村麻呂は阿弖流為を生かして蝦夷を治めさせるのが良いと主張するんですが、公卿たちの反対に遭い、結局、阿弖流為は処刑されてしまいます。
その時の公卿たちの言い分が、
「虎を飼っておくべきではない」
ということだったらしいです。
コメント