体験場所:福岡県F市H駅
これは私が大学生の時に体験した話です。
私はS県にある田舎町の出身なのですが、大学進学にあたり親元を離れ、隣県の大都市の中心部であるH駅の近くで一人暮らしを始めたんです。
入学当初はサークルに参加したり合コンなんてものに行ってみたりと、そこそこ楽しく大学生活を過ごしているつもりでしたが、やっぱり初めて生活する都会の空気には中々馴染めず、気付いた頃には週末が来る度に電車に乗って実家に戻っていました…
その週末も実家に戻る予定だったので朝早く起きようと思っていると、真夏で早朝から空が明るかったこともあってか、いつも寝坊する私が5時台に目を覚ましました。
とは言えあまりにも早いので、(もうちょっとゴロゴロしようかな…)とも思いましたが、実家で飼っている老犬の具合が悪く、間もなく寿命を迎えそうだったこともあって、せっかく早く目が覚めたなら少しでも愛犬のそばで過ごしたいと思い、荷物の準備をしていつも通り最寄りのH駅に向かいました。
大きな駅とはいえ休日なので出勤する人もそうおらず、早朝のホームはガラガラでした。
一人だけねずみ色のスーツを来たサラリーマンが、最後尾の車両の乗車位置に並んでいて、
(あの人は今日も仕事かぁ、大人って大変なんだな~)
と、ぼんやり思いながら、私はベンチに座って携帯をいじっていました。
5分ほどして『プルルルルル…』とベルが鳴り響き、遠くから銀色と赤の電車が近付いてくるのが見えました。
絶対に座れるだろうけど私も並んでおこうと、荷物を抱えて腰を上げた時、もうだいぶ減速していた電車の先頭車両めがけて、ねずみ色のスーツを着たサラリーマンが吸い込まれるように飛び込んだのが見えました。
「えっ!?」
私は驚いて動くことも出来ず、その場に硬直したまま瞬きもせずに電車を見ていました。
すると、人が飛び込んだにも関わらず、電車は急停車することもなくゆっくりと減速を続け、いつも通りの停車位置で止まり、何事もなかったようにドアが開きまました。
(…え?今…確かに…人が飛び込んで…)
と、慌てて辺りを見回したのですが、早朝のホームに僅かながらにいた数人の人々も、何も気にする様子なく電車に乗り込んで行きます。
(…え?…どうして?)
と、その状況に違和感を覚えながらも、私も流されるまま恐々と電車に乗り込むと、『プルルルルル…』と再びベルが鳴り、背中のすぐ後ろでドアが閉まりました。
軋みながらゆっくりと走り出す電車。
(…ホントに、本当に何もなかったの?私の見間違い?)
気になって先頭車両まで行き運転席から前方を覗き込んでみましたが、人が直撃したような痕跡はどこにもありません。
(普通に考えて、人がぶつかったらもっとすごい音がするよね…?)
(血だって飛び散るだろうし…)
(最近レポート提出が立て込んで疲れてたし…)
(早起きしすぎて寝ぼけていたのかも…)
私はそうやって無理矢理自分を納得させ、座席に座って目を閉じたんです。
各駅停車で40分ほど掛かって実家の最寄りのT駅に到着し、朝の7時前には実家の玄関を開きました。
すると、普段は外で飼われている愛犬が居間の中心に寝かされていて、家族が見守る中、今にも息を引き取ろうとしていました。
「あんたに早く帰って来いって電話しようかと思ってたんだよ。虫の知らせだったんかねぇ」
そう祖母が話した数時間後、愛犬は静かに息を引き取りました。
これまで実家で飼っていた犬や猫は自宅の庭に埋めて埋葬していましたが、20年近く飼っていたその子には特別な愛着があり、また体が大きかったこともあって、きちんとペット葬儀社で火葬することになりました。
そんなこともあって、その週末は慌ただしく過ぎ去っていったんです。
月曜日の朝になり早朝に実家を出た私は、その日の学校の授業に間に合わせるために頑張って始発電車に乗り込みました。
5時00分T駅発、5時41分H駅着の普通列車。
始発電車に乗り込んだのはいいものの、起き抜けでかなり眠たかった私は、うたた寝してH駅を乗り過ごしてはいけないと思い、念のため5時38分に携帯のアラームをかけました。
真夏の早朝、車内のエアコンから出る冷気が心地よく、ウトウトし始めた私は案の定そのまますぐに寝入ってしまいました。
しばらくして大音量のアラームに目を覚ますと、(周りの方には迷惑をかけてしまいすみません)、既に電車はH駅の一つ手前の駅を通り過ぎたところでした。
(…危なかったぁ~)
と一息ついてリュックを背負い立ち上がり、乗っていた先頭車両の一番前のドアに向かって立ちました。
電車が少しずつ減速しH駅のホームが近付いてきます。
ふと横を向いて運転席の窓を覗き込むと、ホームの端にはスーツ姿のサラリーマンが立っていて、
電車が通り過ぎる瞬間…
こちらを目掛けて飛び込んできました。
「んえ゛!?」
思わず声にならない声を上げてしまい、車内の乗客から怪訝そうな目が向けられます。
でもそんなことを気にしている場合ではなく、今、目の前で起きたことに私は立ち竦みました。
飛び込みによる明らかな人身事故です。
一刻も早く救助に向かう必要があります。
それなのに電車は高まる動悸を抑えるのに必至な私とは対照的に、急停車することもなく呑気に減速しています。
(なん…で…?今、人が…飛び込んだのに…)
そこで私は気が付いたんです。
車内の様子はいつもの月曜の朝と変わらず、乗客たちは眠そうにして静かにうつむいています。
運転士もゆっくりと電車を減速させて、いつも通りの停車位置に車両を付けます。
ドアが開くと乗客は皆だるそうにホームに降り、いつも通り朝の喧騒の中に消えて行きました。
(一緒だ…週末の時と…同じ。また…何もなかったんだ…)
そう気が付いた時、背中にスーッと冷たい汗が流れました。
そして、同時に思い出したんです。
さっき飛び込んだサラーリマンの男性の姿。
それが週末の朝、ホームで見た飛び込み男性と同じ、ねずみ色のスーツだったことを。
同じ男性が、同じ始発電車の先頭車両に繰り返し飛び込んでいる。
私はその光景を、電車の中と外の両方から目撃してしまったんです…
なぜ私だけ…理由は分かりません。
ですがそれ以来、私は始発電車にも先頭車両にも乗らなくなりました。
再びあの男性を目撃してしまうことが怖かったから…
ただ、後で一つ思ったことがあるんです。
繰り返される男性の飛び込み。
私にはハッキリと見えたあの凄惨な光景は、他の乗客や運転士には見えていないようでした。
ですが、本当にあの光景は私にしか見えていなかったのでしょうか?
運転士や、通勤であの始発電車を毎日使う他の乗客には本当に見えていないのか…
それとも、見えているのに、毎日繰り返される『それ』をどうにも出来ず、やがては日常の景色として受け入れるしかなく、今ではただ黙殺されているだけなのか…
だって、もし本当に誰にも見えていないなら、あの男性が飛び込みを繰り返す理由って、あるのでしょうか…
正直私には分かりませんし、確かめるつもりもありません…
ただ、巨大なH駅のホームでは、今もあの男性が、夜明けに彷徨い出て来て始発電車に飛び込み続けているのかもしれない…
何かを伝えるために…
そう思うと、怖いと言うよりも、何だか少しあの男性が気の毒にも思えてしまうのです…
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