体験場所:海外 香港 ネイザン通りの裏路地
今から随分昔のことで、1980年代前半の頃の話です。
私は当時、米国の航空会社に勤務しており、香港へ出張した時のことでした。
香港に到着後、ホテルへのチェックインを済ませた私は、持ち前の好奇心から直ぐにホテルを飛び出しウインドウショッピングと洒落込みました。
宿泊先のホテルの前のネイザン通りを北に歩いて間もなくすると、ホリデーインホテル近くの細い路地脇から日本語が聞こえ、私は思わず立ち止まりました。
「あなたは、日本の方ですか?」
と、しっかりとした発音の日本語で私は声を掛けられたのです。
本通りから路地脇に少し入ったところに、両手を膝頭に置き、うつむき状態の男性が目に入りました。
どうやらその男性が声の主のようでした。
好奇心から、少し脇道へ入りその男性の方へ近づいて行くと、
「その手にしたオレンジを分けては頂けませんか?」
と、間髪なく尋ねられたのです。
私は、先程露天商から買ったばかりの5、6個のオレンジが入ったビニール袋をその男性に差し出しました。
すると、男性はオレンジの入った袋をひったくるようにして開くと、皮付きのオレンジをそのままむさぼるようにして食べだしました。
私は呆気にとられ、ただ呆然とその男性の様子を見ていました。
見る見るうちに全てのオレンジを食べ終えると、
「旦那さん、私の話を聞いてはくれませんか?」
と、その男性はコチラに顔を向けたのです。
私が興味本位で頷くと、男性は次のような話を語り始めたのです。
ここからは、その男性の話を要約して記します。
———-
私は成田国際空港に近い某所で彫師をしていました。
本来仕事は前金制で請け負っておりましたが、ある親分さんに対して、手付金として半額だけ受け取り作業を始めることになったのです。
ですが、最後の作業を終え残金の支払段階になってトラブルが生じました。
その際、身の危険を感じた私は護身用に隠しもっていた匕首で、その親分を刺してしまったのです。
窮地に追い込まれた私は、彫師仲間の手引きでどうにか香港へ逃亡したのですが、手持ち資金が底を付き、このようなホームレス状態になってしまったのです。
———-
といった彼の身の上話しを聞いた後、男性は最後に、
「どうかここにある封筒を、日本へ帰国後、成田国際空港郵便局から投函してはくれませんか?」
と、懇願するような目で私に頼んできたのです。
ここまでの話を聞いて、男性に対する同情心からか、私はその頼みごとを断ることが出来ませんでした。
一体何が入っているのか、中身の分からない封筒を受け取ると、私は日本での投函を約束し男性の前から立ち去りました。
帰国後、私は直ぐに成田国際空港郵便局からその封筒を投函しました。
それから、どれくらいの時が経過したのか定かではありません。
私の職場に一本の電話が掛かってきた事により、すっかり失念していた香港でのあの男性との出会いを鮮明に思い出すことになったのです。
「もしもし。私は香港でオレンジを分けて頂いた者ですが、現在某精神病院に入院中の身ですが、お陰様で帰国することが出来ました。」
驚きました。
何故なら私は香港で、本名や連絡先はおろか、個人情報は何も告げていなかったからです。
どのようにして私を特定し、勤務先の電話番号まで辿り着いたのかはなはだ疑問でした。
そして話はこう続きました。
「実は、麻薬の中毒症状で入院中の身なのですが、退院のあかつきには必ずお礼にお伺いします」
男はそう言ったまま、通話は切れてしまいました。
私はとてつもない恐怖心に襲われました。
あの香港でのことは、あくまで異国の地でのこと。
私とは無関係のつもりで請け負った安易な行動でした。
それなのに、今になってあの素性の知れない自称彫師の男が、私の実生活にまで侵入してこようとしている。ましてや麻薬中毒の入院患者とは…
私はあの時の謎めいた頼まれごとを断らなかったことを悔やみました。
それからしばらくの間、男がいつ訪ねて来るのか、私は得体の知れない不安に苛まれ、夜も眠れなくなってしまいました。
ですが、それから数十年・・・未だに男は現れません。
一体あの男は何者なのでしょう?
ある親分さんという人との確執は解決したのでしょうか?
そして私が受け取った封筒の中身とは?
それになぜ私の居場所を知っているのか?
こんなことを考えると、未だに恐怖に駆られ眠れない日があります。
ふとした安易な行動から、私が人生の大半を不安と共に生きることになった話です。
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