
体験場所:埼玉県さいたま市北区
これは、私が実家を出て一人暮らしを始めたばかりの頃の話です。
場所はさいたま市のごく普通の住宅街で、駅から徒歩十五分ほどにある木造アパートでした。築年数は古めでしたが、家賃が安く、周囲も静かだったので、特に不満はありませんでした。
住み始めて二週間ほど経った頃から、夜中に小さな物音が聞こえるようになりました。
音がするのは、だいたい午前二時前後。
「コト…」というか、「トン…」というか、とにかく何か物と物とが触れるような短い音です。
最初は隣の部屋だと思いました。壁も薄いですし、生活音が響くことは珍しくありません。
音は連続することなく、必ず一度きりで終わります。人がたてた音と言うよりは、何かの拍子に自然に「触れた」という印象です。
しばらくは気にしないようにしていたのですが、ある夜から何となく引っ掛かりを覚え始めたんです。
その日はなかなか寝付けず、布団の中でスマホを見ていました。時刻は午前2時10分頃だったと思います。
すると、玄関の方から音がしました。
「コツ…」
乾いた音でした。
誰かの足音という感じではなく、ドアを叩いた音でもない。ただ、玄関の床かドアの内側に、何かが触れたような音。いつもの音とは発生場所が違うような気がします。
私は布団から出て、玄関の方を見ました。
電気は消えていましたが、月明かりで玄関の輪郭は見えます。
目を凝らして見ましたが、特に何もありませんでした。
その日も音は一度きりでした。
変化があったのは、それから数日後のこと。
また同じように午前二時を過ぎた頃、例の音で目が覚めました。玄関の方からの音。
ただ、その日は一度では終わらず、
「コツ、コツ」
と、二回続けて聞こえました。
やはり気にかかり、私は玄関まで行き、ドアスコープを覗きました。
共用廊下には誰の姿もありません。
念のため、ドアを開けて外を確認しましたが、何も見当たりません。
アパートの共用廊下は直線で、隠れる場所もありませんでした。
翌日、念のため管理会社に電話し、以下のことを聞いてみました。
・夜中に巡回することはあるか
・共用部で最近なにか夜中に作業をしていないか
答えはどちらも「ない」とのことでした。
音は、その後も続きました。
不思議なことに、音が鳴るのは必ず午前二時前後。昼間や早い時間帯には一度も聞こえませんでした。
ある日、気になってアパートの構造を確認して回りました。
すると、私の部屋の玄関の真ん前に、建物の基礎が少し顔を出している部分がありました。
「この影響と、温度差とかが重なると、古い木造の木が鳴るのかもしれない」
そう自分に言い聞かせました。
引っ越しを決めたのは、それから一か月後のことです。
理由は仕事の都合で、この現象が直接の原因ではありません。
退去前日の最後の夜。
もう慣れてしまったせいか、音がしても驚かなくなっていました。
その晩も、午前二時を過ぎた頃。
いつものように、
「コツ…」
と音がしました。
その直後、玄関のドアノブが、ほんの僅かに下がったのを見ました。
ガチャ、という音はありません。
本当に、視界の端で、ドアノブわずかに動いたのを見ただけです。
私はそのまま動けませんでした。
確認も何もしませんでした。
その夜も、音は一度で止みました。
翌朝、何事もなく部屋を引き払い、鍵を返しました。
あの音の正体が何だったのか、今でも分かりません。
それに、最後の夜、ドアノブが下がった原因も分かりません。
誰かがやった証拠も根拠もありませんし、実害があったわけでもありません。
ただ、今でも午前二時頃、一人で静かな部屋にいると、ふと思うことがあります。
「あの時、ドアを開けて確認すべきだったか…」
いや、やっぱり開けなくて、正解でしたよね?

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