体験場所:埼玉県S市
私は大学までは東京で生まれ育ちましたが、現在は地方に住んでいます。
そのため、時折懐かしく思っては、東京の実家や学校の周りをGooglemapのストリートビューで見ることがあります。
いつの間にか、中高時代に寄り道していたドーナツチェーンが不動産屋さんになっていたり、大学時代の思い出のカフェが変わらぬままあったり、寂しいやら驚くやらです。
そんなことをしていると、あのカフェでよく一緒にお茶をした友人は元気かしらと、授業を抜け出しては熱中していた他愛ない茶飲み話を思い出すのですが、そのうちの一つ、あのゾッとする話の記憶まで甦ってきてしまったのです。
ゾッとする、と言うのは少し大げさかもしれません。それこそ他愛なく、長く忘れていた話なのですが、身近な友人が体験したことであり、悲劇が起きるような大きな落ちがあるわけでもないのがかえって怖いと感じた話です。
友人のA子は埼玉県の実家で暮らしていました。
東京の大学までは、バス、JR、私鉄と乗り換えて、更に大学行きのバスに乗車するという交通機関フルコースで、A子は毎日通学だけで片道二時間を費やしていました。
忙しい学科であっただけに「下宿はしないの?」と聞かれることも多かったようですが、A子は一人娘だったこともあり、遅い時間に帰宅することになっても実家住まいを続けていたようでした。
A子の実家の最寄り駅は、埼玉県中心部にある新幹線も停まる大きな駅とはいえ、そこから実家までは路線バスで30分かかる田園地帯。
「帰る頃には真っ暗で、ぼんやり灯った街灯が、かえってホラーな雰囲気なのよ」
と、彼女は冗談のように笑ってネタにしていました。
そんな自虐的地元トークの延長で、A子がこんな話を始めたのです。
A子の家の近くには小規模ながらニュータウン的な区画があり、おそらくは高度経済成長期くらいに出来たのだろうけど、もはや営業しているとは思えないような薄暗いマーケットなどがあって、少し怖いのだそう。
バスから降り、そのニュータウン区画を通ると自宅のある旧来の住宅地までの近道になるので、ちょくちょく利用していたものの、似た家ばかりが並ぶそこはまるで迷路のようで、夕方の帰り道ではよく区画内で道を間違えては思わぬところに出てしまうこともあったそうです。
そうして道を間違えては度々前を通り掛かっていたのが、無数の人形がぶら下がる家だったそうです。
窓、ベランダ、軒下にはもちろん、庭木や、使われず錆だらけになった物干し竿や門柱にも、紐で括られた人形が無数にぶら下がっていると言うのです。
怖いのでまじまじとは見ないものの、横目で確認できるだけでも人形の種類は様々で、日本人形やドレスを着た西洋人形、ぬいぐるみ、プラスチックの動物の人形などが目に付いたそうです。
A子がその家の存在に気付いたのが中学生の頃。
それからも徐々に人形の数は増え続けているそうで、
「先日迷い込んだ時は、ポストの上に真新しい人形が増えていてギョッとしたわ」
と彼女は肩をすくめてみせました。
その後も、たまにA子はその家の様子や変化を私に報告してきては、お互い何となくゾッとするものを感じながら、まるでそれが厄払いになるかのように、わざとらしく怖がってみては笑いあったりといったことを繰り返していました。
そんなある日。
しばらく大学を休んだA子が、久しぶりに顔を見せた日のことです。
私は具合でも悪かったのかと思ってA子に様子を尋ねました。
彼女は具合が悪いわけではないと答えながらも元気のない様子。
授業を終えると、何となくいつものカフェへ二人とも足が向き、いつも通り向かい合って座りました。
ちょっと神妙な彼女の表情に、何か話したいことがあるのかなと待っていると、A子から顔を寄せるように手招きされ、私がテーブルに近づくと、怯えたような小声で次のような話をはじめました。
一週間ほど前、休講で早く帰宅できた日のことです。
大学からの帰り、A子はいつも通り二時間かけて自宅近くのバス停で降りました。
いつもなら、街灯が仄かに灯った暗くホラーな景色が広がるのですが、その日はまだ明るく、のどかな郊外の風景そのもので、A子は何の気なしにニュータウン区画を通ってみようと足を向けたそうです。
機嫌良く歩いていた彼女は、気付くと例の人形の家の前に出ていました。
太陽の下で見る人形たちは、それは多少気味が悪いものの、いつもほど怖くもなく、むしろかえって好奇心をそそられて、A子はついついジッと見つめてしまっていたのです。
しかもあろう事か、その家の二階を窺うようにマジマジと目を向けたり、散歩のふりをしてその家のあるブロックをぐるっと回ってみたりしたそうです。
人形の家も多分まわりの家と同じ時期に建てられたのであろうこと、白い壁に赤い屋根、よく見るとベランダの手すりは曲線のお洒落なデザインで、庭の植栽も凝っていたことが窺えて、「なかなか乙女チックな家だったんだなぁ」と感じたそうです。
そんな一般的な住宅としての一面も、人形がぶら下がる頃にはむしろ不気味さを強調する一助となっていたわけですが。
そんな風に、人形の家を窺うように周囲をうろうろしていると、突然背後から現われた男にいきなり腕を鷲掴みにされたそうです。
昼間のニュータウンはほぼ無人。
通りに人は皆無ですし、どの家も人がいるかいないか怪しいくらいです。
だからこそ人形の家も同じように、今は誰もいないだろうとA子は油断しきっていたのです。
固まって声も出ないA子に、腕を掴んだ男は口をパクパクさせながら何かを訴えています。
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
と、A子は小声で繰り返しながら、腕を放してもらおうと後ずさります。
(男が刃物を持っていたらどうしよう・・・)
と、腕を掴んでいる男の反対の手を見ると、青いドレスを着た紫髪の人形が握られていました。
(あの家に新しく人形を飾るところだったんだ…)
そう気付いたA子は気が動転して、その瞬間「あ!」と一言だけやや大きめの声が出たんです。
その声に驚いた男の手がゆるんだ隙に、A子は男の手を振りほどいて走って逃げ出しました。
男はあっさりと手を放したまま、追ってくる気配もなかったそうですが、バス停のあるバイパスまで彼女は一度も振り返らずに一気に走り切ったそうです。
逃げている間もずっと、男が握っていた青いドレスを着た紫髪の人形のことが頭から離れず、今、ここで私に話していても、その気味の悪い人形の姿ばかり考えてしまうのだということでした。
男の顔はほとんど覚えておらず、年齢はさして若くないようだという点以外は何も記憶に残っていないとのことでした。
あまりにも疲れていたため、そのことは家族にも言わないまま、警察に言うことでもないかと思い、今初めて私に話したと言っていました。
話し終わった後、ため息をついたA子は再びその時の恐怖を思い出したのか、目には薄っすらと涙を浮かべていましたが、それは話して安心したからだとA子は言い、その後はいつも通りの彼女に戻っていました。
けれどそれ以降、人形の家のことはもちろん、ニュータウンのことすらもA子は二度と話さなくなりましたし、何となくですが、人形が出てくる映画や美術展すらも避けているように見えました。
やがて私たちは大学を卒業し、私は生まれ育った東京から移住して就職、A子は就職後、海外へ移住しました。
現在はA子の実家周辺もすっかり開発が進み、あのニュータウン区画はどうなったのか…
私は最初にお話しした通り、時折Googlemapのストリートビューで思い出の街がどうなったのかを見ることがあるのです。
長く忘れていた人形の家の話を思い出し、私は思い切ってその家の現在をGooglemapで調べてみることにしました。
人形の家の具体的なアドレスはわかりませんが、A子はそこを近道として使っていたわけですから、A子の使っていたバス停とA子の実家住所の間にある、整備された古めの区画を航空写真で探してみます。
A子が言ってたように、昔は畑や田圃があったんだろうなと思われるA子の実家周りの地域を見ると、現在は大きな郊外型ショッピングモールと、バイパスから伸びた新しい道が通り、道路沿いにはレストランやカフェとおぼしきカラフルな屋根が並んでいます。
その近くにはいかにもファミリー層が好みそうな、公園を敷地内に備えたおしゃれな大型マンションも確認できます。
そして、そこからちょっと離れた場所に、ここかなと思われる碁盤の目のような区画はありました。
おそらくニュータウンと呼ばれていたその区画の半分は、既に更地のようでした。
ところがです。
更地と更地に挟まれて、一軒の赤い屋根が見えます。
古びてはいますが、はっきりと赤い屋根です。
拡大すると、ベランダではないかと予想される白っぽいものがぼやけて見え、そこに何か蔦のようなものが絡まっているのが薄っすらと確認できます。
ストリートビューに切り替え、その建物を確認してみると、私はゾッとしました。
カフェでA子が初めて人形の家の話をした時と同じ、髪の毛が逆立つようなゾクゾクする感覚に襲われ、思わず「ひっ」と声が出ました。
そこは人形の家でした。
A子から聞いた通り人形がびっしりと吊るされ、異様な雰囲気を漂わせた家。
あれからも人形は増えたのでしょうか、庭木と庭木を繋いだ紐にも万国旗のように人形が吊るされています。
そして、息も詰まるほど私の胸がドクンと脈打ったのは、ストリートビューの中に、青いドレスを着た紫髪の人形の姿を見つけた瞬間でした。
日に焼けた青いドレスはボロボロで、紫色の髪は色褪せてはいましたが、あの日A子から聞いたままの人形です。
門柱の中央に角材が括られていたのですが、なぜかその人形だけそこにぐるぐるに縛り付けられ、一際目立っていました。
何か呪術的な意味があるようにも見え、私は息を飲みこんだまま、暫し呆然とその異様な光景を眺めていました。
このことは、A子には話していません。
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