体験場所:広島県H市
現在、広島県で2歳になった長女と夫と3人暮らし。
傍から見れば平凡で幸せそうに見えるのではないかと自分でもそう思います。
でも、私と夫には、この生活を手に入れる直前に、忘れられない出来事がありました。
私にとっては知らず知らずのうちに背負ってしまった十字架のようなものですが、『取り返しのつかないことをしてしまった』という罪悪感だけが残っています。
あれは遡ること3年前の話です。
私と主人は出会ってすぐ、お互いに一目惚れで、真剣なお付き合いに発展しました。
一緒にどこかに出かけたり、ドラマーである彼が出演するライブを見に行ったりと、幸せの絶頂を日々噛みしめる毎日でした。
彼はマンションで一人暮らしだったのですが、私はよくそこを訪れ、部屋でゆったりと過ごすことも多くありました。
そんなある日、彼がある一本の電話をとった瞬間、さっと顔色が変わった時があったのです。
明らかにおかしいとは思いましたが、彼は電話をしながら外に出て行ってしまうほど、電話の内容を私に聞かれたくないようだったので、あえて何も聞きませんでした。
すると、慌ただしく戻ってきた彼が、
「出かけないといけなくなった」
と言いました。
「こんな夜にどこへ?」
くらいは聞いたと思いますが、彼は頑なに口を閉ざしたまま話してはくれませんでした。
彼が体調を崩したのは、それから間も無くしてからのことです。
最初は腰の痛み。次に右足でした。
原因不明の痛みに苛まれ、1ヶ月後には車椅子になっていました。
私が妊娠したことが判明したのも、ちょうどその頃でした。
それで病院に行ったところ、
「妊娠しているのに受精卵が見当たらない」
と言われたのです。
「妊娠反応は強いので、子宮内に受精卵が見当たらないことはまずない」
とベテラン医師に言われ、子宮外妊娠が濃厚だと言われました。
いつ腹腔内で妊娠物質が爆発してもおかしくないので即入院。
気が付いた時には私も車椅子に乗っていたのです。
「彼氏と彼女が二人とも車椅子の確率って一体どれくらいなんだろうね。」
そんな風に私たちは電話で話をしていたのですが、そんな時、ついに彼が耐えきれない様子で話し始めたのです。
それは、数年前、3ヶ月だけ付き合っていた彼女がいたということ。
その彼女の束縛に耐えきれず別れを切り出した途端、彼女がストーカー化し、付きまといを受けたということ。
彼女を何度も説得したが話を聞いてもらえず、駅に現れたり、マンションの前で待ち伏せされたりしたということ。
身の危険を感じ、警察に何度も相談しに行ったということ。
そんな内容のことを、彼は静かに話してくれたのです。
そして彼が電話を受け顔色を変えたあの夜、彼女が川に浮かんでいるのが発見されたそうなのです。
警察は自殺と断定したようですが、それには彼の証言が必要だったため、警察に行ったということでした。
その時期、彼がストーカー被害で警察に相談していたことが記録として残されていて、それが後々に彼の証言の裏付けに繋がったようでした。
女の日記には、想像で彼とデートに行ったことなどが複数書かれていたため、女の精神が相当に病んでいたことが考えられます。
そして、その女は彼に、「彼女と一緒にいるところを見たよ…」と言ったそうです。
その彼女というのが、私のことです。
彼の話はそこで曖昧なまま終わりました。
実は、私自身も昔ストーカーまがいなことをしていた経験があり、ストーカーをされた経験もあります。そのため、彼女と彼、両方の気持ちが分かるような気がしたのです。
なので、(最初から話していてくれたら…)と思いましたが、彼にその言葉を掛けることはできませんでした。
彼が話の最後を曖昧にしたのは、その女に対して私への思いを口にしたからではないか…と、私はそう思っています。
おそらくそのことが、彼女が自殺する引き金になってしまったのだと…
彼が曖昧に話を終えたのも、私に十字架を背負わせたくなかったからだと思いますし、私もそれ以来、あえてこのことを口にすることもありません。
ですがその後、私は病院のベッドで横になりながら、
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…」
と、何度も心の中でそう叫んでいました。
すると数日の入院を経て、無事に子宮内に妊娠を確認することができ、あっけなく私は退院することになったのです。
その頃彼が、
「通りすがりのおばあちゃんが『お守り』をくれた。」
急にそんな事を言い出したのを覚えています。
「そんなことある?」
なんて私も茶化していたのですが、お守りの効果があったのか、それから彼の体調も劇的に回復していきました。
その後、私たちは結婚し、彼のマンションで一緒に住み始めました。
その時、気が付いたことが一つありました。
それは、玄関ドアの外側に、無数の手の跡のようなシミが浮き出てきたことです。
何度かそのシミを拭いてみたのですが、取れませんでした。
おそらく彼もそれに気が付いたのでしょう。
「鍵が開きにくくなったから、ドアごと取り替えないか?」
と、彼はそう言ってきたのです。
私は頷くだけで、それ以上は何も言いません。
そしてこれからも、おそらく私は何も言わないでしょう。
この十字架を背負って生きていくことが、私の定めだと思うから。
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