体験場所:愛知県名古屋市 某マンション
これは、私の母が若い頃に体験した話です。
母は昔、愛知県名古屋市のマンションで一人暮らししながらOLとして働いていた時期がありました。
その日もいつも通り仕事を終えて、車で自宅のマンションに帰宅した時のことです。
今では珍しいのかもしれませんが、そのマンションの前に広がる駐車場は所有者ごとに区分けされておらず、空いていればどこでも好きな駐車スペースに停めても良かったのだそうです。
大体はマンションの建物に近い場所から埋まっていき、夜遅く帰った時は大分離れた駐車スペースしか空いていないのだそうです。
ですが、その日はタイミングが良かったのか、マンションに近い駐車スペースが一つだけ、不自然な感じで空いていました。
「ちょうど誰かが出たばかりだったのかな?」
運が良かったと、母はハンドルを切りそこに車を駐車しました。
車を降りるとすぐ目の前がマンションです。
小走りで中に入ると、エレベーターがちょうど一階に停まっていたので、母はそのまま乗り込み自分の部屋の階のボタンを押しました。
ゆっくりと扉が閉まり、エレベータは上昇を始めます。
当然ですが、マンションの上りエレベーターは指定したフロアまでほとんどの場合ノンストップで直行し、途中のフロアで止まることはまずありません。
「なんか今日の帰宅はすごくスムーズだな」
そんな些細なことに喜んでいる内に、エレベーター内部の階数表示が自宅フロアへの到着を示しました。
扉が開く前に、一歩進んで扉の前に立った時、母は違和感を感じました。
エレベーターが止まらないんです。
それどころかエレベーター内部の回数表示を見ると、更に上へ上へとエレベーターが上昇しているのが分かります。
ボタンは今も母の部屋の階が光っているのに、それなのにエレベーターは上昇を止めません。
「え!?どうして!?」
母は慌てて他の階や開閉ボタンなどを押してみましたが、エレベーターは何の反応も示さずどんどん上に上がっていきます。
「ちょっ…と、え!?」
何が何だか分からず呆然とする母を乗せたまま、ようやくエレベーターが停止したのは、最上階の屋上に到着した時でした。
『チン』
と、いつも通りの音を合図にエレベータが開くと、扉の先には夜の屋上が広がっていました。
柵で周囲をぐるっと囲まれたこの屋上には、母も数えるほどしか来たことがありません。
ましてや夜の屋上など一度も来たことがありませんでした。
初めて見たせいもあってか、夜の屋上は思っていた以上に薄暗く、どことなく不気味で寂しい感じが漂っているように見えました。
一瞬ブルッと身震いした母は、再びエレベータで自分のフロアのボタンを押した後、『閉める』ボタンをカチャカチャと何度も押しました。
扉が閉まり下降を始めたエレベーターは、今度は正常に母の自宅フロアで停止しました。
急いでエレベーターを降りて自分の部屋に入った母は、落ち着いてさっきの現象について考えてみました。
ですが、結局いくら考えてみても『たまたま起きたエレベータの誤作動』という以外に思い付くものはありませんでした。
多少不思議ではあったものの、原因の分からない済んでしまったことなので、母はあまり深くは考えることもなかったようです。
翌朝、いつも通りに起床し、慌ただしく朝の準備をして部屋を出ます。
急いでエレベータに乗り込み、マンションを出て車に向かいました。
この時点で、既に昨日のエレベータの一件はすっかりと忘れていたそうです。
足早に駐車場へ出て、昨夜自分が車を停めた場所の手前まで行くと、母の足が急に止まりました。
「え?どうして…嘘…」
昨夜は暗くて気が付かなかったのですが、母の車の下には、複数の花束が置かれていたのです。
それは明らかにお供え用の花束でした。
まるで、そこで誰かが亡くなったように思え、母はブルッと背中に悪寒が走るのを感じました。
「なんで、こんなものが…」
誰かの質の悪いイタズラだろうと思った母でしたが、青ざめた顔でしばらくそこに立ち尽くしていると、丁度そこを通りかかった同じマンションの住民であろう男性が、
「昨日、そこで人が死んでるんですよ。」
と、眉をひそませながら教えてくれたのです。
「え?それ…どういうことですか?」
母は直ぐにはそれが腑に落ちず、更に詳しい説明を男性に求めました。
すると、前日の日中、母が仕事に行っていた間に、若い女性がマンションの屋上から飛び降りたのだとその男性は言うのです。
その女性が落ちた先が、母が車を停めていた場所なのだと…
すぐに警察や救急車が駆け付け付けましたが、女性は即死。
母が夜遅く帰る頃には既に現場処理も終わっており、その場所に近所の住民たちが花を手向けていたとのことでした。
「そこに車を停めちゃうなんてな~」
話してくれた男性は終始眉をひそめながら、最後にそう言い残して去って行きました。
昨夜の帰宅時、不自然にその駐車スペースだけが空いていた理由を知り、母は自責の念と申し訳なさで、しばらく呆然とその場に立ち尽くしていました。
その時、昨夜のエレベーターでの出来事を思い出したのです。
母の部屋のフロアを通り過ぎ、エレベーターが向かった先はマンションの屋上。
そこは女性が飛び降りた場所だと気が付いた瞬間、急に冷たい風が吹いたかのように母は背筋がスッと冷えるのを感じました…
それと同時に、あることが頭をよぎります。
(もしかしたら、自殺した女性は私を導いていたのかもしれない…)
当時、母は人間関係に悩み、死にたいと思うことも度々あったそうなのです。
その感情が母をこの駐車スペースに引き寄せ、亡くなった女性が屋上まで自分を案内したのかもしれない。
そう思った母は急に『死ぬ』ことが、と言うか、度々『死のうと思っていた自分』のことが怖くなったと言っていました。
その後、転職を機にそのマンションは引っ越したそうなのですが…
あれから何十年と経った今でも、あの出来事を思い出すとゾッとすると言います。
それと同時に、
「あの時、本当に死ななくて良かった」
と、母は私を見ながら話していました。
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