体験場所:山梨県F市の温泉旅館
数年前、友人と二人で旅行に行った時の体験談です。
私と友人は連休を利用し、山梨県F市にある温泉旅館に行くことにしました。
連休ということもあり道路は渋滞、また道中で観光しながら宿に向かったので、実際にその旅館に到着したのは夜の七時頃になっていました。
それでも旅館の方々は私達を温かく迎え入れて下さり、夕食も温かいものをお出ししますよと言ってくれて「この旅館にして良かったね」と、私たちは喜んでいたのです。
ただ、その日は他に団体客も宿泊していて部屋数に余裕がないとういことで、私達は新館ではなく、本館一階の一番奥の部屋に通されました。
本館は、建物自体は古いのですが、中庭には鯉が泳いでいる池があり、赤く色付くもみじが「和」を感じさせてくれる趣深い造りになっていて、むしろ私たちは本館で良かったとすら思ったのです。
部屋に着くとちょっと驚いたことがありました。
八畳の和室と聞いていたのですが、実際は、その和室の隅にもう一つ古い開き戸があり、開けてみると四畳ほどの何もない狭い部屋がありました。
「物置・・・かな?」
私たちは最初そう思ったのですが、特に荷物が収納されていたわけでもないので、実際のところその部屋の用途は分かりませんでした。
(もしかしたら監禁部屋?とか療養部屋?)
正直そんなことを思ったりもしたのですが、私はそれを口にすることはありませんでした。
その後、美味しい夕食を頂き、気持ちのいい温泉で温まっている内に、私たちはすっかりその部屋のことを忘れていました。
その夜は仕事の話や恋愛話に花が咲き、気付いた頃には夜十一時を過ぎて遅くなり、私たちは「そろそろ寝ようか」と慌てて布団に入ったのです。
床に就いてから数時間後、私は妙な音で目を覚ましました。
時計を見ると夜中の二時です。
シンっと静寂が張り詰めた静かな部屋の中、一人耳を澄ませると、その音は人の話し声のような、それも女性の声のようなものであることが分かりました。
内容はよく聞こえませんが、誰かに女性が話しかけているような感じです。
時折笑っているような声も聞こえます。
私は隣で寝ている友人を起こそうと思いましたが、友人はグッスリ寝ている様子で、起こすのも悪いと思って声を掛けるのをやめました。
止むことなく続く小さな話し声は、もちろん部屋の外から聞こえているものだと思っていたのですが、もっと近くから聞こえる気もします。
妙な違和感を感じ不審に思ったその時、私は気が付いたのです。
・・・隣の部屋に続くドアが少し開いていることに。
私達がそのドアを開けたのは最初に部屋に入った時の1回だけで、その時も確実にドアを閉めました。
それにその開き戸は、ガチャリとしっかり閉まるタイプのドアで、勝手に開くことはまず有り得ません。
なので私達が寝る時には絶対にドアは閉まっていたはずです。
そのドアの隙間から、誰もいないはずの向こうの部屋の声が漏れ聞こえているのだと気が付いた時、私の背中をひやりと寒気が走りました。
(あのドアを閉めなくちゃ、何か入って来るかも)
咄嗟に私はそう思いました。
私に霊感はありません。
でもその時はなぜか直感的にそう思ったのです。
恐る恐る私は布団から出ると、忍び足でドアの前まで行き、そしてドアノブを握りました。
(中を見てはいけない。絶対に見てはいけない。)
そう思いながら、迷わず一気にドアを閉めようとした瞬間、全身にぞわぞわっと鳥肌が粟立つのを感じました。
(…近くに何かいる。)
目には見えないけど、何かがいる。
そう感じた次の瞬間、
『行かないで』
そうハッキリと聞き取れる女性の声がしたのです。
私はそれを振り払うように思い切ってドアをガチャンと閉めました。
フッと気配が消えるのが分かりました。
話し声も聞こえなくなりました。
部屋は自分の息遣いが耳障りなほどの静けさです。
(今、一体何が起きたの・・・)
そんな思いを押し殺し、その時は何も詮索せずに呼吸を整え、何事もなかったかのように私はもう一度布団に入りました。
けど、結局朝まで眠れませんでした。
翌朝、私は昨夜の出来事を友人に話したのですが、全く信じてもらえませんでした。
もう一度ドアの向こうの部屋も確認してみましたが、結局、昨夜の出来事に繋がるものは何も見つかりませんでした。
それでもどうしても気になった私は、旅館をチェックアウトする際に思い切って昨夜の出来事を旅館の方に話してみました。
でも旅館の方からは、「お酒でも飲んでたんじゃないですか?」と笑いながら言われるだけでした。
それでも何か因縁があるはずだと、例の部屋は一体何のための部屋なのか?と、しつこく尋ねてみると、旅館の方は少し困ったようにして答えられました。
「元々は露天風呂付きの客室を作ろうと思ったんですけど、お湯の出が悪くてやめちゃったんですよ。それで、ただの床部屋にしたんです。」
ただ、私には信じられませんでした。
客間に取り付けられた、何もない用途不明の狭い部屋。
あの部屋には必ず何か曰くがあるはずと、私は今でもそう思っています。
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