体験場所:秋田県 田沢湖畔の某合宿所
これは、私が中学1年生の夏に部活の先輩から聞いたお話です。
私の所属していた吹奏楽部では、毎年夏休みになると2泊3日の強化合宿が行われていました。
その夏合宿中に、部に伝わるとある伝統行事が毎年行われていたのです。
それは合宿初日の夜、1年生は各々担当する楽器パートの先輩から『我が校の吹奏楽部にまつわる怖い話』を聞く、という変わった行事でした。
そんなことも知らず、私は人生初めての部活合宿が楽しみで、何日も前からワクワクしていたんです。
夏合宿当日、私たち吹奏楽部員120名は大きなバスに乗り込み、秋田県の田沢湖にある合宿所に向かい出発しました。
この合宿所は様々な団体に利用されており、秋田県出身の方なら『部活の合宿』と聞いてすぐにピンとくるところです。
実際に到着すると、そこは普段私たちが生活している場所とは全く違い、青い山々がズラッと連なる景色は圧巻で、冬にはスキー場として利用されたり、硫黄の香りが強い温泉も湧き出ていたりと、とても素敵なところでした。
初めての夏合宿は本当に楽しくて、みんなで食べる食事は美味しく、男子生徒は顧問の先生とどっちの方が沢山ご飯を食べられるか競争したりしていました。
食事の後は担当の楽器メンバーごとにお風呂に入り、待ちに待った自由時間には仲のいい部員同士で集まって、楽しいおしゃべりに花が咲きました。
そのほとんどは好きな人の話や、学校の名物先生の話で盛り上がるんですよね。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、夜の8時を回った頃だったと思います。
「じゃあそろそろ、あの話をしないとだね。」
3年生の先輩がそう切り出したのを聞いて、私たち1年生は「何の話だろう?」と顔を見合わせました。
「私も1年生の時に先輩から聞いた話で、うちの部活で代々語り継がれてる話なんだけどね…」
そう言って先輩は、何年も前にこの吹奏楽部で実際に起きたという『怖い話』を語り始めたんです。
何年も前のその年、この学校の吹奏楽部の先輩たちは、全日本吹奏楽コンクールでの全国大会金賞を目指して日々練習に励んでいました。
その年の自由曲に選んだ曲には、ピッコロという小さな横笛による美しいソロ演奏がありました。
ピッコロは通常フルートパートの誰かが担当することになるのですが、その年の自由曲のソロパートはあまりに美しく、フルートパートの全員がピッコロ奏者を希望して名乗り出たのです。
思いがけず多くの立候補があった為、顧問の先生はしばらく選考する期間を設けることにしました。
するとその期間中、ピッコロ奏者を希望した彼女たちは、他人を蹴落とすために陰口を叩いたり、陰湿ないじめで相手のモチベーションを下げたり、お互いに足の引っ張り合いを始めたのです。
特に3年生はこの大会が最後の大会となる為、他のメンバーよりも目立とうと必死でした。
2年生の後輩にはきつく当たったり、中にはフルートが上手い子をこっそり呼び出しては、いわゆる『シメる』ということもあったようです。
しかし、そんな風に周りが醜い争いで揉める中、そのようなことには一切加担せず、3年生の女生徒A子さんだけは日々淡々と楽器の練習だけに励んでいました。
周りから何か言われたり、ちょっかいを出されたりしても、A子さんが仕返しをすることはありませんでした。ただ黙々と楽器の練習に励むのみでした。
基本的にピッコロは、大きな学校でもせいぜい2本程度しか置いていないような希少な楽器だったので、持ち帰ることも出来ず、A子さんは家に帰った後はフルートを使って練習を続けていました。
自由曲が決まってから約2週間後のその日、顧問の先生はピッコロ奏者のオーディションを開催しました。
オーディション中は誰が演奏しているのか分からないように、部員全員に目を閉じさせ、演奏希望者の中からランダムに選んで順番にピッコロの演奏をさせました。
その結果、オーディションに受かったのはA子さんでした。
陰口やいじめなどにも加担せず、日々一生懸命に練習していたA子さんが実力でピッコロ奏者を勝ち取ったのでした。
人間とは悲しいもので、自分を高める努力を怠り、周りを蹴落として自分が優位に立とうとする者が多くいるものです。
ですが顧問の先生は、そんな周囲に振り回される事なく、ただ一生懸命に練習してきたA子さんを、誰よりも高く評価していたのです。
そして遂にコンクールのシーズンが始まりました。
地区大会、県大会、東北大会と、いずれも素晴らしい点数で我が吹奏楽部は勝ち進んでいきました。
県大会の時には、審査員の先生から『ピッコロソロ、ブラボー!!』と評論に書かれました。
プロの奏者が特定のパートを名指しで評価することは稀なことで、本当に名誉なことです。
ただ、そんなことがあっても、ピッコロソロを担当した当のA子さんはそれに胡坐をかくこともなく、練習の手を緩めることもありませんでした。
毎日家に楽器を持ち帰り、学校のテスト期間中もピッコロの練習は毎日欠かさなかったそうです。
この頃には、以前はピッコロ奏者を目指して足の引っ張り合いをしていたフルートパートのメンバーも、
「Aさんになら安心してピッコロを任せられる。自分たちも頑張って、全員で全国金賞を取ってやるぞ!」
そう意気込んで、それぞれが自分のパートに真剣に取り組んでいました。
しかし、出場を勝ち取った全国大会まであと数週間という時、悲劇は起きたのです。
A子さんが階段から落ちて、右手首から指先までを骨折してしまったのです。
本番はもうすぐだというのに、この怪我は致命的でした。
もはや全国大会への出場は不可能です。
「原因は一体何なのか?」
「過度な練習による疲労で、足元がふらついてしまったのでは?」
誰もがそんな風に考えていました。
ですが、本当の原因はそんなことではありませんでした。
同じフルートパートだった3年生のB子さんが、彼女を階段から突き落としたのです。
元々内気で優しいA子さんは、人を責めたり怒ったりできない性格です。
そこに付け込んだB子さんは、彼女を突き落とした後で更にこう言ったそうです。
「先生にチクったら、次はどうなるか分かんないよ?」
ここまで、先輩の話を固唾を飲んで聞いていた私たち。
合宿所の大部屋にはキーンと張り詰めた空気が、夏とは思えないほど冷たく立ち込めていました。
部活の上下関係や曲がった競争心に、私たちは何とも言えない恐怖を感じていたんです。
隣に座っていた友人は、入部当初から「ピッコロを吹きたい」と話していたので、尚更怖いと思ったことでしょう…。
自分の動悸が少し早まるのを感じながら、私は続けて先輩の話に耳を傾けました。
木管楽器奏者の命ともいえる手を故障してしまったA子さんは、残念ながら夢の舞台に立つことが出来なくなってしまいました。
ですが、吹奏楽部自体は悲しんでいる場合ではありませんでした。
まだコンクールは終わっていませんし、全国大会本番までもう時間がありません。
幸い100名以上が在籍する大所帯の部だったので、急遽別の3年生がピッコロソロを担当し、足りないフルートパートに補欠の2年生を投入することになりました。
手首を骨折してしまったA子さんはというと、ショックから不登校になってしまいました。
全国大会という華々しい舞台で、堂々と演奏することを目標に、誰よりも練習を頑張ってきたのに、その夢をこんな形で絶たれてしまい、尚且つ同級生からは酷い仕打ちを受け、彼女は心身共にボロボロになってしまったのだそうです。
当時、全国大会の舞台となった会場は、東京都にある普門館という大ホールでした。
吹奏楽部を取り上げるドキュメンタリー番組でも度々登場した施設です。
私もこれまでに1度だけ、全国大会で訪れたことがあるのですが、ステージは黒く光り、そこで奏でる音は1~2秒差で跳ね返って自分たちに聞こえてくるのです。
残念ながら老朽化のため取り壊されてしまいましたが、全国の吹奏楽部員はずっとこのステージに憧れを抱いて練習したものです。
全国大会まで残すところあと2日となり、コンクール出場メンバー50名は一足先に都内のホテルに入りました。
私の代でもそうだったのですが、我が吹奏楽部ではコンクール出場メンバーだけが他部員より1日先にホテルに入り、その日の夕食に焼き肉を食べるという慣例がありました。
「しっかり食べて頑張れよ!」という顧問の先生の計らいによるもので、この年も出場メンバーだけで和気あいあいと焼き肉を頂いたそうです。
この日まで心血注いで練習に精を出し、お腹いっぱい焼き肉を食べた先輩たちは、本番前の一時的な安らぎからか、その日は殆どのメンバーが消灯時間を待たずに眠りに就きました。
その夜の事でした。
23時を過ぎた頃、ある男子生徒の一人が、不思議な音を聞いて目を覚ましました。
甲高い、小鳥のさえずりのように可愛らしく、軽やかに転がるような音…
どうやらその音は、自分たちが毎日嫌になるほど耳にしていた自由曲を奏でているようでした。
神経を使った練習のし過ぎで、遂に幻聴まで聞こえるようになったのかと、彼は思ったそうです。
翌日、彼は隣の部屋で寝ていた友人に昨夜の話をすると、
「それ…俺にも聞こえた!…あれって俺らの自由曲だったよな!練習のし過ぎって怖いよなー!」
「え!?お前も聞こえたの!?てゆうかさ、あの音、ピッコロっぽくなかった?あのソロの部分の!」
すると、彼らの会話が耳に入ったのか、周りにいたメンバーも次々に集まってきて、皆一様にこう言うのです。
「私も聞いたけど…あれ、絶対ピッコロの音じゃん」
しかしあの時間、とっくに消灯時間は過ぎていましたし、そもそも他の客も宿泊する深夜のホテルで、一体誰が楽器の練習を始めると言うのでしょう。
それでも、これだけの数の人間が聞いたと言うなら、全てをただの勘違いとするのも不自然に思い、誰からともなく冗談半分で、後任のピッコロ奏者に聞いてみました。
「お前、昨日の11時頃、ピッコロのソロパート吹いてなかった?」
「は?なんで夜に楽器吹くの?てゆうかここホテルだし。有り得ないでしょ。」
「だよなー!」
予想通りのピッコロ奏者の返答を聞いた上で、みんなが出した結論は、『きっと自分たちは毎日練習しすぎたために、脳内で勝手にその音楽が再生されているのだろう』というものでした。
その結論通りと言うべきか、2日目の夜も、昨夜と同じピッコロのソロパートがどこからともなく再び聞こえてきたのです。
今度は全員がまだ起きている消灯前の時間でした。
更にこの日は、コンクールメンバー以外の部員たちもホテルに合流していたのですが、そのほとんどの部員が音を聞いていて、次々と部屋から出てきては廊下で騒ぎ始めたのです。
やや遅れて、廊下での騒ぎに気付いたフルートパートのメンバーも出てきました。
「みんなどうしたの?何かあったの?」
フルートパートのメンバーは何が起きているのか誰も気付いていませんでした。
しかし、他の部員たちは口を揃えて、
「ピッコロソロが聞えるんだよ!しかも昨日よりハッキリ!」
「あの吹き方…どっかで聞いたことある吹き方なんだよね…」
「フルートパートのメンバーには聞こえないの?誰かドッキリで夜中に吹いているんじゃないよな?」
誰かがそうフルートパートの面々に聞きました。
しかし不思議なことに、フルートパートのメンバーには音が聞こえていないようなのです。
(これだけ多くのメンバーが聞こえている音が、どうして自分たちには聞こえないの?逆に自分たちがドッキリを仕掛けられているのでは?)
フルートパートのメンバーがそんなことを考えた時、誰かが言いました。
「もしかしてこれって…あいつが吹いているんじゃないの!?」
さっきまで騒然としていた廊下が水を打ったように静まり返りました。
誰もが即座に理解しました。
あいつというのは、手首を骨折し無念のリタイアを余儀なくされたA子さんのことだということを。
「そんな訳ないじゃん!大体ここに来てるはずないし!てゆうか、もしかして私たちにドッキリ仕掛けてるんじゃないよね?」
「ドッキリなんか仕掛けてないよ。でもなんて言うかさ…あいつ、俺たちを恨んでたりするんじゃないかな…とか思って。」
「…もしかして、フルートパートのお前らが、あいつに何かしたんじゃないよな?」
「は!?何もしてないし!!それって酷くない!?」
徐々に騒ぎが険悪なムードになり始めた頃、やっと顧問の先生が顔を出しました。
「何してるんだ、明日は本番だぞ!さっさと寝なさい!」
するとクラリネットパートの2年生が説明しました。
「先生、さっき急にどこかから自由曲のピッコロソロを演奏する音が聞こえてきたんです。こんな時間のホテルでおかしいと思いませんか?その音を聞いてみんな部屋から出てきたんです。でもフルートパートの子たちには聞こえていないみたいで…それで、誰が吹いたんだ?とか、ドッキリなんじゃないか?って、段々喧嘩腰になってきちゃって…」
「ピッコロ…?お前ら練習のし過ぎじゃないのか?話は後でゆっくり聞くから。まず今日は早く寝なさい。」
顧問の先生がそう言うのだから、部員達は素直にいう事を聞くしかありません。
音の出所を不審に思いながらも、みんな渋々それぞれの部屋へと戻って行きました。
そして翌日。
全国大会当日の朝、衝撃の事件が起きました。
全員での朝食の時間、やや遅れて来たフルートパートの2年生が、青ざめた顔で顧問の先生に駆け寄りこう言いました。
「大変です!先輩の右手が…!」
彼女の言葉を聞いた瞬間、先生の顔からもみるみる血の気が引いて行くのが分かりました。
二人はすぐに走りだして、その『先輩』の元へ向かいました。
「お、おい…これは、一体…」
顧問は『先輩』の右手首を見て絶句しました。
『先輩』の右手首は、通常の2倍近くに赤く腫れ上がっていたのです。
これでは楽器なんて持つことすら到底できません。
「おい大丈夫か!?ピッコロソロなら何とかする!だから、それよりも早く救急に行こう…!副顧問の先生に付いて行ってもらうから、そのままロビーで待ってなさい!」
そう声を上げる顧問の言葉にも、『先輩』はガタガタと震えるばかりで返事も出来ません。
「どうしたんだ!大丈夫か!おい!」
顧問が何度か力強く声を掛けると、今にも消えてしまいそうなか細い声で『先輩』は答えました。
「…呪いです。…あの子の呪いなんです。私があの子を階段から突き落として、ピッコロのソロパートを取ったから…それであの子が私を恨んだんです。夢に、昨日の夢にA子が出てきて、私も同じ目に遭わせてやるって言って…」
そうなのです。
この右手首を真っ赤に腫らした『先輩』こそが、A子さんを階段から突き落とし、後任のピッコロ奏者として後釜に乗ったB子さんだったのです。
その時のB子さんの顔色は気味が悪いほど白く、瞳孔が開いた瞳は虚空を漂うように右へ左へ彷徨い、腫れあがった右手を左手で抑え、ただただ震えていたそうです。
B子さんは救急車で搬送された先の病院で、やっぱりと言うべきなのか、右手首の骨折と診断されました。
コンクールは急遽代わりのメンバーを充ててステージに立ったそうなのですが、結果は銅賞、全国金賞の夢は叶わなかったそうです。
ここで先輩の話は一度止まりました。
すると先輩は、スーッと私たち一年生の顔を横に流すように見回します。
(お、終わり…かな…?)
これまで先輩の話に、息を潜めて耳を傾けていた私たち。
緊張で手の平はじっとりと汗ばみ、背中を指でなぞられるような気味の悪さが漂う中、ただただジッと座って先輩の口を見つめていると、その口が再びゆっくりと動きました。
「それでね、話にはもう少し続きがあってね…」
そう言って、続けて先輩が話し始めました。
コンクールメンバーが1日先に東京のホテルに入ったその日…
先任のピッコロ奏者だったA子さんが…
自宅で自殺を図ったのだそうです。
仲間に裏切られたあげく、夢までも奪われ、絶望に打ちひしがれたA子さんは、自ら命を絶とうとしたのです。
幸い発見が早く、すぐに病院に搬送されたA子さんは、2日ほど意識が無いまま生と死の間を彷徨うと…
コンクール当日の朝、B子さんの右手が赤く腫れあがったその日、奇跡的にA子さんの意識は戻ったのだそうです。
「これが我が吹奏楽部に伝わる怪談話です。」
先輩のその一言に、固唾を飲んで話を聞いていた数人の一年生から安堵の溜息が洩れました。
その瞬間、無色だった部屋にようやく色が戻るように、私たちも現実に戻ることが出来たように感じました。
その後、先輩たちはこんなことを言っていました。
「これって間違いなくA子さんの恨みだね~。私も1年生の時に先輩からこの話を聞いたんだけど、それからピッコロのソロ吹くのが怖くなっちゃった。」
「わかる~!私もそれでピッコロ希望するの辞めたんだよね。」
私の強化合宿はこんな風にして、その吹奏楽部にまつわる言い伝えから始まったのでした。
ここからは後日談なのですが…
そんな私も気付けば30代になり、約16年ぶりに中学時代の吹奏楽部顧問と同窓会で再会することになりました。
その先生は、私の中学校ができて間もない頃に赴任してきて、私が中学3年生に上がる時に他校へ異動してしまいました。
なので2年間もお世話になった先生とのお別れはとても辛く、泣きながら離任式に参加したのを今でもよく覚えています。
そんな大好きな先生にお酒を注ぎながら、当時の思い出話をしていた時のことです。
「先生、そう言えばずっと気になってたことがあるんですよ。私が1年生の時、先輩からあの学校の吹奏楽部に伝わる怖い話を聞いたことがあって…あれっていつの代の話なんですか?」
すると先生は少しの間をあけた後、急に何かを思い出したかのように笑い出しました。
「あれかー!あの話のオチはいつも3年生が引退した時にコッソリ教えてたんだけど、お前たちとは卒業まで一緒に居られなかったから教えられなかったもんな!あれは、実はなぁ…」
実はこのピッコロ奏者に関する怪談話は、全て顧問の先生の作り話だったのです。
というのも、いつの時代も陰口やいじめといった問題が後を絶たず、吹奏楽部員にはそんな馬鹿な事をして欲しくない、ではその為にどうしたら良いのだろうかと、若かりし頃の先生は悩んでいたそうです。
そこでたまたま思いついた作り話を生徒たちにした所、話に尾ひれが付いて、どんどん恐ろしい話に膨れ上がっていって、いつの間にか怪談話みたいになっていたのだとか。
「しかし、これは逆に良い教えに変えられるかもしれない。」そう思った先生は、敢えてその話を訂正することはせず、3年生が引退した時にやっと、この話は作り話だとカミングアウトするようになったと言います。
確かにこれが本当にあった話であれば、社会的に大問題ですよね。同級生を階段から突き落とすなんて、打ちどころによっては殺人です。
しかし、幼いながらにこの話を聞いた当時の私は、密かにこんなことを学んでいました。
一つ目は、自分が利益を得たいがために誰かを陥れようとしてはいけないということ。
二つ目は、自分の努力を認めてくれる人は必ずいるから、物事を絶対に諦めたり投げ出したりしないこと。
三つ目は、たった一人の間違った行動が周りに大きな影響を与えるため、考えなしに軽率な行動を取ってはいけないということ。
今でもこの話が後輩たちに語り継がれているかは不明です。
ですが、私の中では人生の大事な教訓の一つとしてずっと覚えていたい「吹奏楽部にまつわる怖い話」なのです。
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