体験場所:佐賀県鳥栖市の自宅付近
私は佐賀県の田舎町で暮らしています。
ご近所の家はみんな田舎の集落らしい開放的な平屋ばかり。
ですがそんな中に一軒だけ、周囲の家と比べ一際大きく、明らかにお金持ちだと分かる端整な日本家屋がありました。
手入れが行き届いたそのお庭は四季折々の花で彩られ、私は小さい頃からよくお散歩がてらその家の近くをうろうろして、勝手に庭を観賞して楽しんでいたんです。
最初にその人を見かけたのは、確か私が幼稚園の年長ぐらいの頃だったと思います。
いつものように垣根の外から庭を覗き込むと、開け放たれた縁側に、その女の人が立っているのが見えたんです。
「こんにちは!」
幼かった私は無邪気に挨拶をしたのですが、返事は返ってきません…
もう一度、次はもう少し大きな声で、
「こんにちは!」
と言いましたがやっぱり反応はありませんでした。
(聞こえなかったのかなぁ~)
(ひょっとしたら、耳の悪い人なのかも。)
そう思ってその日はそれ以上声を掛けずに家に帰りました。
それからも時々、縁側の雨戸が開いている時はその女性を見かけることがありました。
いつも少し俯き加減で、庭の大きな松に向かってジッと立っている女性。
華奢で艶やかなその姿はどこか儚げで、それが庭の自然美と一緒になると一層可憐に見えて、その姿を見かける度に私は魂を吸い込まれるように惹き付けられました。
田舎では近所の家庭の家族構成などは当たり前のように筒抜けで、その家に関しても例外ではないのですが、高齢の祖父母と50代の両親、それと大学生の息子さんしか住んでいないはずで、あの女性が誰なのかは近所の誰も知らないようでした。
ですがその頃には私ももう高校生になっていたので、もしかすると精神的な病を抱えたご家族がいて、ひっそり自宅の中だけで療養されているのかもしれない、と、そんな風に考えていました。
それから数ヶ月後。
村の夏祭りがあったその日。
祭りの打ち上げの席で、私はたまたまあの家の大学生の息子さんと席が隣になりました。
「お祭り上手くいって良かったね~」
なんて、集落には数少ない若い世代同士楽しく会話していると、何かの弾みで話題がお互いの家族の事に広がり、
「そういえば、いつも縁側にいる女の人って・・・お姉さん?」
と、私は何の気なしに彼に聞いたんです。
すると、先ほどまで朗らかにしていた彼の顔付きがみるみる険しくなっていき、そのまま目の前の虚空を見つめながら動かなくなったんです。
(あ、まずいことを言ったな…)
私はそう思って、バツが悪そうに顔を伏せていると、
「ちょっと、散歩に行こうか?」
と彼に声を掛けられ、宴会の席から外に連れ出されたんです。
(やっぱり怒られるのかなぁ~)
と、二人で夕暮れの田んぼ道を歩きながら私が不安そうにしていると、彼は突然こう言ったんです。
「それ…うちの母さんには絶対言うなよ!」
そう前置きした上で彼はこう続けました。
「あれは、父さんの浮気相手だ…」
「え?」
思いもよらない言葉に私は気が動転して固まってしまいました。
(浮気相手?)
(あの優しいおじさんの?)
(それが何で普通に家の中にいるの…?)
混乱する私を他所に彼は続けます。
「あれは立ってるんじゃない…」
「あの縁側で首を吊って死んで…今もずっと…ぶら下がってるだけだ…」
(死んでぶら下がってる…?)
(死んでるなら早くお墓に…)
(え?死んでるの?あの人?)
(縁側で?浮気相手が首を吊って?)
(それじゃあ…私が見てた人って…)
頭の中ではその正体に気付いているのに、それを受け止められず苦悶していた時、私の首筋に…フッと女の吐息がかかりました。
「家の中からは見えないけど、外から庭を覗き込むとなぜか時々見える人がいるんだ。母さん、そのこと言われると発狂するから・・・お前も二度と口に出さないでくれ。」
私は呆然としていました。
ご近所の優しいおじさんが浮気をしていて、しかも相手の女性はその家の縁側で首を吊って、それが今でもそこにぶら下がっていて・・・
そして、私はそれを見ていた・・・
何年も、何年も・・・
それを認めた瞬間、全身が総毛立ち、
「・・・分かった。」
そう返事をするのが精一杯でした。
その後、あの家はお爺様が亡くなったのを切欠に大きくリフォームされ、縁側のない家になりました。
もともと縁側のあった場所はお手洗いか何かに変わり、そこに小さな四角い窓がぽつんと開いているだけ。
今も時々あの美しい庭先を覗いてみるのですが、その小さな窓の内側には、少し俯き加減の女性が今もじっとぶら下がっています・・・
彼女は一体何を思い、今もあの家で首を吊り続けるのか。
あの小さな窓すらも閉ざされた時、家の外からしか見えないという彼女の姿は・・・
もう誰にも・・・
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