
体験場所:静岡県S市
私が小学生の時、夜は通ってはいけないと言われる道が近所にありました。
その道は街灯のない川沿いの細道で、大通りへの抜け道として近所に住む人だけが使うような道でした。
『通ってはいけない』理由を大人に聞くと、「あそこは街灯がないから夜は危ない」とか「車がスピードを出して入って来るから」と言われ、町内の子供たちは仕方なく少し離れた道を使うようにしていたのです。
使ってはいけないと言われると、なんとなく子供たちの間では『怪しい道』として受け止められ、そのうち「あの道で猫の幽霊を見た」なんて噂話が広がり、好奇心旺盛な子供達にとって何時しかその道は心霊スポットとして知られるようになっていたのです。
ある秋の日のことです。
私とAちゃんはその日、学校の帰りが遅くなり、一緒に家路を急いでいました。夕方から始まる子供番組にどうしても間に合わせたかったんです。
「今日はあの道を通ろうか?あっちなら近道になるよ!」
と、焦っていた私は思わず口にしました。
するとAちゃんも渋々ですが承諾してくれて、私たちはその日、例の川沿いの道を通って帰ることにしたのです。
その細い川沿いの道に入ると、やはり街灯がなくてとにかく暗く、時々通る車のライトに照らされて、ようやく道の脇でコスモスが揺れていることに気が付く、といった視界状況です。
川の向こうにある大きな工場からは、周囲を囲む高い塀を越えて僅かな光が漏れ出ています。それが暗い川辺に咲く沢山のコスモスを薄っすらと照らし、私たちにはそれが妙に不気味に見えました。
その時、どこからか猫の鳴き声が聞こえました。
「野良猫かな?」
私はAちゃんにそう言ったのですが、
「え?何が?」
と、Aちゃんには何も聞こえなかったようで、私達はお互い不思議に思ったんです。
遠くには小さな小さな光がいくつも見えていて、
「あれも工場の灯りかな?」
と話しながら、私たちは家路を急いだんです。
そのままお互いの家の近くまで来ると、
「あの道、特になんにもなかったね。」
そう言って私たちは別れました。
変化はその翌日に起こりました。
その日、Aちゃんが熱を出したらしく学校を休んだのです。
その後も3日間、Aちゃんは学校を休み続け、心配になった私はAちゃんの家に行ってみることにしたんです。
家に着くと、Aちゃんの母親が玄関先に出て来てこう言うのです。
「うちの子、なかなか熱が下がらなくてね。病院にも行ったんだけど、なんか猫がどうとかって言いながら寝たままなのよ」
ハッとしました。
先日、私たちは学校帰りに『猫の幽霊が出る道』を通りました。もしかしたらそれが関係しているのかもしれないと思ったのです。
私は帰宅してすぐに祖母に相談しました。
「この前あの川沿いの道を通ってから、友達がおかしくなったの。ばあちゃんどうしたら良い?」
すると祖母は、
「それは病院じゃなくて、神社に行くんだよ!」
と、真剣な表情で言うんです。
私は急いでもう一度Aちゃんの家を訪ね、Aちゃんの母親に伝えると、すぐに町内の神社にお参りに行ったようでした。
するとAちゃんの熱はすぐに下がり、元通り元気になって、また学校に来られるようになったんです。
私はホッとして、祖母にAちゃんが元気になったことを伝えると、「良かったねぇ」と笑顔で言ってくれました。
そのあと祖母は少し落ち込むような顔になり、あの川で昔何があったのかを話してくれたんです。
祖母が幼い頃、日本はまだ戦時中で食べ物が少ない時代でした。
そんな時代でしたから、飼い猫が仔猫を産んでも家にはエサを与えてやる余裕はなく、仕方なく仔猫を箱に閉じ込めあの川に流していたのだそうです。
それは祖母だけに限らず、他の家でもそうしており、川を下っていく箱の中から、助けを求める仔猫の鳴き声を何度も聞いたと祖母は言います。
当時は川の水位量も多かったそうで、やがて箱は浸水して水が溢れ、川の浅瀬に猫の死体が幾つも流れ着いたそうです。あの日、Aちゃんと見たコスモスが沢山咲いていた川辺、あそこがちょうどその浅瀬に当たると聞いて、私は不意に背筋がヒュッと寒くなりました。
そんなこともあって、昔からあの道では『通ると猫に憑かれる』とか『ぐっしょりと濡れた猫を見る』などと言った噂話が絶えることはなかったそうです。
最後に祖母は、
「あんたたちが遠くに見た沢山の小さな光っていうのは、死んでいった子猫たちがあんたたちのこと見てたのかもしれんね」
そんなことを言って、少しにやりと笑いました。
それ以来、私もAちゃんもあの道を通ることはなくなりました。
コスモスが咲く川辺の道は、今もそこに残っています。
あの日聞いた猫の鳴き声や、無数にあった小さな光を、今でも時々思い出すことがあり、忘れられない体験です。
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